2016年5月12日木曜日

古地図探偵 五代氏藍製造所「朝陽館」のその後(その3) 20160513

五代友厚氏の藍製造所「朝陽館」のあった地が、その後どのように変遷してきたのかを古地図を手掛かりに探偵しています。前回までに、江戸時代から大正14年までの変遷をたどってきました。
昭和時代に入って昭和3年発行の「最新大大阪市街全図」、「昭和8年発行のイロハ引早わかり大大阪市街新地図」などを見ても、大きな変化は見えませんでしたが、昭和10年の地図に注目すべき変化がありました。

今回は、昭和10年発行の「最新大大阪市街地図」から始めることとします。大正14年の第二次市域拡張から10年、大大阪の時代の都市改造が動き始めています。

まずは、地下鉄の完成。市電「阪急前」の左下に、赤地白抜き文字で誇らしげに「地下鐡」とあります。市電よりも太い目立つ線が引かれ、駅(正しくは停留場)もちゃんと表示されています。
そのほかの赤地白抜き文字を見ると、堂ビル=現在も大江橋北詰に健在です。新大阪ホテル=リーガロイヤルホテルの前身。誕生したのは、昭和10年(1935年)1月16日。大阪政財界の「賓客のための近代的ホテルを大阪に」という要望から中之島3丁目に生まれました。
大阪ビルは「ダイビル」として長年親しまれ、建て替えの際にも旧建物が復元再生されたことで、現在でも人気スポットです。大阪帝大は、阪大が帝国大学に昇格しました。
このエリアだけを見ても、いろんな変化が現れてきたことが分かります。
⑱昭和10年発行の「最新大大阪市街地図
さて、追いかけてきた朝陽館の地ですが、こちらも変化が見られます。会議所は「商工會議所」と名称が変更されています。新たに、北側に中央電話局、福島電話局が、南側には中央電信局が誕生しています。当時のニューメディアの拠点がこの地に集約されたようです。
現在NTT関連のビルがあるのも、この頃の名残と考えられます。
大阪駅の表示は、変体仮名の「お」が使われて、「おほさか」となっています。
梅田入堀からさらに北へ水路が伸びて、大阪駅の北側にも船溜ができ、拡張された貨物駅と結んでいます。ちょうど梅田高等女学校があったあたりが船溜となったようです。

昭和10年の地図は、世界大戦に突入する前の大大阪の発展の様子を見るうえで、様々な情報を示してくれる大事な資料になりそうです。今後も注目していきたいと思います。


次は、昭和14年発行の「イロハ引早わかり大大阪市街新地図」です。
この地図には、地下鉄の記載はまだ残っています。新大阪ホテル、大阪ビル、堂ビルは小さく表示されています。道路は省略が多くなり、線で描かれるようになっています。朝陽館の敷地には、商工会議所のみが記載されています。
⑲昭和14年発行の「イロハ引早わかり大大阪市街新地図
次は、昭和16年発行の「最新大阪市街図」です。新大阪ホテル、堂ビルなど、カタカナの表記が消えています。地下鉄も消えています。運休していた訳ではありません。間違いか、意図的なものかわかりませんが、朝陽館の跡地に阪大病院と書かれています。

⑳昭和16年発行の「最新大阪市街図

同じく昭和16年の「最新大大阪市街地図」です。
こちらは、新大阪ホテル、大阪ビル、堂ビルの表示はありますが、地下鉄が消えています。消した跡が白く余白になっているので、いかにも消しましたという感じで、かえって目立つような気もします。この地図も朝陽館の跡地は商工会議所のみです。
21.昭和16年の「最新大大阪市街地図

昭和17年の「大阪市街全図」です。
大阪ビルと堂ビルはありますが、新大阪ホテルは消されています。地下鉄もありません。印刷も荒い感じになり、紙が薄くなって裏面が透けて写っています。朝陽館の地には、堂島浜通りという地名のみになりました。
22.昭和17年の「大阪市街全図

昭和18年発行の「最新大大阪全図」です。
こちらは新大阪ホテルと堂ビルはありますが、大阪ビルはありません。地下鉄も表示されていません。道路も省略が多くなって全体に略図のような感じです。朝陽館の敷地は商工会議所のみです。
23.昭和18年発行の「最新大大阪全図

このように、戦時中の昭和14年から18年にかけての地図をみると、地下鉄が表示されなくなるなど、だんだん省略が多くなったり、紙の質・印刷の質の低下が目につきます。追いかけてきた朝陽館の地には、商工会議所の記載があるのみで、電話局、電信局などの施設はすべて消されています。

次は、いよいよ戦後になり、昭和30年発行の「最新大阪市街地図」です。‬
朝陽館の地には、南側には大阪商工会議所と大阪電報局、北側には、出入橋局と扇町高校があります。
24.昭和30年発行の「最新大阪市街地図
赤地白抜きの目立つ文字をみると、堂ビル、大阪ビル、新大阪ホテルが復活し、大阪駅前に第一生命ビルが加わっています。そのほか、市庁、日本銀行、大阪大学、阪大病院があり、阪急、阪神のそばには、京阪神急行のりば、阪神のりばの文字があります。私鉄がしっかりと定着してきています。

太い赤線で市電が、細い赤線で市バスの路線が描かれ、地下鉄も赤い波線で表示されています。梅田、淀屋橋の停留場名も書かれています。まだまだ市電が中心で、地下鉄は1号線の梅田~天王寺間と、3号線の大国町~玉出間だけの時代でした。
大阪駅、福島駅と漢字表記になり、左から右に書かれるようになりました。
戦後10年、「もはや戦後ではない。」の時代でしょうか。

古地図探偵の最後に、謎の地図「最新大阪市街区分図」をご紹介します。‬
国際日本文化研究センターのデータベースには「最新大阪市街区分図」というタイトルで、
・内容年代(和暦)(西暦): 不明
・成立年代(和暦)(西暦): 不明
・作成主体又は絵師:不明
・版本者: 新日本地図出版社(大阪、発行)
・現所蔵: 国際日本文化研究センター
という地図が、1枚だけ収録されています。
新日本地図出版社発行という情報だけで、内容年代も成立年代も不明となっている謎の多い地図ですが、ゼンリンの住宅地図並みの詳細な情報が載っています。
25.謎の地図「最新大阪市街区分図
五代氏藍製造所「朝陽館」の地には、堂島西町という地名があり、これまでの地図の中では最も詳しく、
・中の島扇町高等学校
・阪大微生物研究会
・国際通信所
・大阪中央電話局
・堂島電気通信管理所
・大阪電報局
・大阪商工會議所
が記載されています。

向かいに阪大病院がある関係か、阪大微生物研究会があるのも興味深いです。調べてみると、昭和9(1934)年2月大阪市北区堂島西町3番地に研究所本館が竣工。昭和9(1934)年9月17日「微生物病研究所」が発足。大阪大学の吹田キャンパス統合計画の第一陣として、昭和42(1967)年現在地に移転。とありました。
高等学校という表記がありますので、新制高校になった昭和23(1948)年4月以降の地図であること。
さらに別の個所に日本国有鉄道の記載から、国鉄が発足した昭和24(1949)年6月1日以降とわかります。
新大阪ホテルがあります。営業していたのは昭和48(1973)年まで。
現在の大阪商工会議所ビルの竣工は、昭和43(1968)年3月ですので、それ以前とわかります。
中之島に豊国神社があります。調べると昭和36(1961)年 に現在地の大坂城二の丸へ遷座されたとありました。
それでもまだ、だいぶん幅があります。

見方を変えて、この地図は建設省地理調査所許可となっていますが、建設省地理調査所となったのは昭和23(1948)年7月10日で、昭和35(1960)年7月1日に現在の国土地理院と改称されています。
さらに、フェスティバルタワーの土地が空地になっています。昭和33(1958)年4月5日に大阪グランドホテルが開業していますのでそれ以前。
また、堂島ビルに帝国銀行堂島支店があります。帝国銀行は昭和29(1954)年1月に三井銀行に改称していますので、それ以前とわかります。

以上のことから昭和24(1949)年6月1日以降、昭和29(1954)年1月以前の5年間まで絞ることができました。
堂ビルや大ビルのテナントが掲載されていますので、これらを詳しく見るともう少し特定できるかもしれません。ご存知の方があれば是非お知らせください。


五代氏藍製造所「朝陽館」のその後を、しつこく追いかけてまいりましたが、これをもって終了とします。
最後の地図がいつの地図か特定できないままに終了となりました点お許しください。
地図は、主に国際日本文化研究センター(日文研)さんが、Webで公開されている資料を利用させていただきました。各地図の表題をクリックすると、日文研さんの公開地図を見ることができます。
長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。 

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