2016年6月29日水曜日

第5回大阪市パノラマ地図検定(第5問) 20160629

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から10問の問題を出題します。

第5問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名、道路名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 市電が走っている道路の名前は?
E 清水谷の地名の由来は?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。


後日、解答例と解説を投稿します。自己採点していただき、
90点以上で1級、80点以上で2級、70点以上で3級が認定されます。
配点は、A~Eそれぞれ2点とします。

早くに答えを知りたい方は、下記あてに解答をお送りいただきますと、コメントをつけて返信いたします。
回答は、こちらからどうぞ。(「お問い合わせ内容*」の欄にA~Eの解答を記入してください。)

さあ、レッツ、チャレンジ!!
多くの皆さんの回答をお待ちしています。
このブログのコメントに回答をすることはご遠慮ください。

地図は「こちずぶらり」さんからお借りしました。
無料キャンペーンが延長されています。アンドロイド版も公開されました。

続きはこちらからどうぞ。
第5回検定の第1問はこちらからどうぞ。


第1回検定はこちらからどうぞ。
第2回検定はこちらからどうぞ。
第3回検定はこちらからどうぞ。
第4回検定はこちらからどうぞ。

2016年6月28日火曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(1-5)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第1回 第5問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所は当時 何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?

D この地図について、自由にコメントしてください。

※Dの自由なコメントが浮かばない方は、下記のヒントにお答えください。
 4つの橋にはそれぞれ名前があります。

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 四ツ橋

B 長堀通(旧長堀川)と阪神高速1号環状線(旧西横堀川)の交差点
C 木橋の四ツ橋が架かっていた。
D 4つの橋は北に上繋橋、南に下繋橋、東に炭屋橋、西に吉野屋橋。
  地下鉄路線名は「四つ橋筋」、駅名は「四ツ橋」。
  四ツ橋交差点にはミニ四ツ橋(モニュメント)が作られている。


浪華名所獨案内の四ツ橋付近(上が北)
天保新改攝州大阪全圖の四ツ橋付近(上が北)

 四ツ橋(よつばし)は、「堀川の十字交差部(大阪市内に唯一存在した)」に、架橋されていた4つの橋を一括して称した名称、およびその周辺の地域の通称。その後、堀川は埋め立てられたため現在は交差点名や駅名として残存しています。
 四ツ橋は、昔から、建物が建て込んだ都心部の中の貴重な開けた部分だったので、よく散歩コースとして市民に親しまれ、また大阪名所・観光名所として写真が絵はがきにも多く用いられました。

 もともとは、長堀川と西横堀川(両方とも埋め立てられた)が交差する地点に「ロ」の字型に架けられていた4つの橋の愛称です。道路、水路、市電にとっての重要な交通の要所でした。
・上繋橋(かみつなぎばし)西横堀川に架かる北の橋。1964年(昭和39年)撤去。
・下繋橋(しもつなぎばし)西横堀川に架かる南の橋。1964年(昭和39年)撤去。
・炭屋橋(すみやばし)長堀川に架かる東の橋。1970年(昭和45年)撤去。島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来。
・吉野屋橋(よしのやばし)長堀川に架かる西の橋。1970年(昭和45年)撤去。北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来。

摂津名所図会の四ツ橋

 現在「四ツ橋」は長堀通と四つ橋筋の交差点名となっています。本来の四ツ橋は、長堀川と西横堀川の交差部、つまり、長堀通と阪神高速1号環状線北行きの交差部なので、四ツ橋交差点は本来の四ツ橋の位置より少し西側にずれている事になります。なお、四ツ橋交差点の位置で長堀川に架けられていた橋は「西長堀橋」です。
 交差点の東側、長堀通の中央分離帯にはミニ四ツ橋のモニュメントと案内板があります。長堀通の中央部、阪神高速道路の東側には、江戸時代中期の俳人小西来山と上島鬼貫が詠んだ句碑が建っています。上島鬼貫の句は「後の月 入て貌よし 星の空」で、小西来山の句は「涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり」となっています。



 また、日本初の国産ダイヤモンドクロッシング(軌道の交差点)が設置されたのもこの交差点です。大阪市電の東西線と南北線という2つの重要路線がクロスしていましたが、昭和36(1961)年に東西線、昭和38(1963)年に南北線が廃止されたことにより撤去されました。

四ツ橋電車交叉点(大阪府写真帖)

 橋の北西角、交差点の北東角には、東洋初のプラネタリウムが置かれた大阪市立電気科学館が昭和12年(1937年)に完成し、四ツ橋のシンボルとなっていましたが平成元年に廃止となり、取り壊されて、現在はヴィアイン心斎橋長堀通を主テナントとする大阪市交通局所有の複合ビル「ホワイトドームプラザ」となっています。ビルの外観は、屋上部分がドーム状に造られるなど、大阪市立電気科学館を模しています。
 昭和40年(1965年)には、大阪市営地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅が完成します。名前の表記について、「四ツ橋」と「四つ橋」が使い分けられています。地名(橋名・交差点名・駅名)は、「四ツ橋」「四ツ橋駅」とカタカナの「ツ」、線名(道路名・地下鉄路線名)は「四つ橋筋」「四つ橋線」とひらがなの「つ」となっています。これは、道路を管理していた市の土木局(当時)と、交通事業(市電に四ツ橋の電停があった)を管理していた電気局(当時)が、監督官庁に別の表記で届け出たことに原因があると言われています。さらに、地下鉄路線名は通過する街路の名前(四つ橋筋)に合わせたのに対して、駅名は地名を採用したという結果、「地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅」のような表記になっています。
四ツ橋の今昔については、こちらもご覧ください。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html
前問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html
次問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/07/blog-post_6.html

2016年6月27日月曜日

今週の今昔館(13) 20160627

〇企画展「船場花嫁物語」は終了しました。
 多くの皆様のご来場ありがとうございました。


拡大表示はこちらから


〇次回企画展示のご案内 2016年度 建築設計展
 前期:「設計競技入選作品展『もう一つのまち・もう一つの建築』」
    平成28年7月2日(土)~4日(月)
 後期:「全国大学・高専卒業設計展示会」
    平成28年7月7日(木)~10日(日)
 詳しくはこちらをどうぞ。≫http://konjyakukan.com/korekara.html



〇特別展のご案内 中井大和守の建築指図 ―世界遺産をつくった大工棟梁―
 平成28年7月23日(土)~8月28日(日)
  (会期中は休まず開館いたします。)

 この展覧会では、修理された建築指図を中心に「大工頭中井家建築指図」を一堂に公開し、日本建築の意匠と技術の真髄に迫ります。
 詳しくはこちらをどうぞ。≫http://konjyakukan.com/korekara.html




方広寺大仏殿 重要文化財 中井正知氏・中井正純氏蔵
清水寺絵図(部分) 重要文化財 中井正知氏・中井正純氏蔵 


〇今昔館のあまり知られていない展示(その4)

 前回に続いて、8階近代のフロア「モダン大阪 パノラマ遊覧」の近代都市住宅年表のコーナーをご紹介します。
 15年前の開館当時からずっと展示されている年表ですが、手前に並んでいる冷蔵庫やアイロン、ガスコンロなどのくらしの道具の変遷の方に気をとられて、バックの壁面が年表になっていることに気が付かない方が多いようです。

8階近代のフロアの「近代都市住宅年表」のコーナー
 明治以降から現代までの大阪の住まいと暮らしの歴史を、「都市住宅の変容」を軸に、市街地や郊外居住の変化などの流れも含めて年表にまとめたものです。
 この年表の下の段には各時代の代表的な住宅の立面図が同じスケールで描かれています。
 今回は、終戦後の部分をご紹介します。


城北バス住宅と岸の里試験住宅
 終戦後、迫り来る冬を前にして、住む家が無い戦災者や引揚者への緊急措置として、仮設住宅が建設されるとともに、旧兵舎や寮・学校、バスなども一時しのぎの住宅に転用されました。バス住宅は、木炭バスの廃車体を焼け跡や空き地に置き並べたもので、狭くて劣悪な点では壕舎住宅やバラックと同様でしたが、バス住宅などの転用住宅は大阪市の経営する市営住宅の一つであり、自然発生的に個人が応急的に作ったバラック類とは、性格を異にするものでした。住まいの大阪六景のひとつとして展示されている「城北バス住宅-転用住宅と戦災復興-」は、史実に基づいて制作された模型です。

城北バス住宅平面図・配置図(まちに住まうー大阪都市住宅史)
城北バス住宅-転用住宅と戦災復興-(住まいの大阪六景)

 終戦後、昭和23年に米軍によって撮影された写真です。時計の文字盤のようにバスが並べられている様子が写っています。共同の炊事場・便所の小屋もよくわかります。
昭和23年米軍撮影の航空写真(国土地理院)

 なぜこの場所に応急仮設のバス住宅が建設されたのでしょうか?ヒントはもう一枚の地図です。国土地理院地図に「明治時代の低湿地」があり、明治20年頃の水路や湿地の様子がわかります。水色の部分が淀川大改修以前の淀川の流れです。バス住宅の位置は以前は川の中にあったことがわかります(地図中の+印)。当時の住所は「旭区豊里町」となっていますが、豊里町は淀川北岸の現在の東淀川区にある地名です。淀川大改修によって、新しい川の南岸に飛び地として残され、旭区に編入されましたが、地名は以前の地名が残されたことがわかります。また、現在埋め立てられて阪神高速道路が通っている江野川は排水のために水路として残されたものです。現在の城北公園内にある池や菖蒲園も、旧淀川の川筋であったことが確認できます。さらに、旭区と守口市の境界も旧淀川の川筋によって決まっていることもわかります。

水色が改修前の淀川(地理院地図・明治時代の低湿地)
明治41年・昭和22年・平成7年の地形図、最近の航空写真の城北付近(今昔マップ3)

 膨大な住宅不足の解消に向けて、公営住宅の建設システムの整備が行われつつあるとき、木造量産住宅を直営で行うという企画が立てられていました。その試みとして岸の里試験住宅が昭和23年12月に50戸が建設されました。家族のだんらん空間の重視、家事労働の合理化、床座から椅子座への移行など、住生活の近代化に対応した新しい間取りが採用されました。
岸の里試験住宅外観(まちに住まうー大阪都市住宅史)
岸の里試験住宅平面図(まちに住まうー大阪都市住宅史)


 プレハブ住宅は現代の都市住宅の一典型になっています。多数の消費者に対し短い施工期間で低価格・高品質の住宅を提供することを目的に、部材・仕様が規格化され、部材が大量生産されることによって建設の仕方が合理化・工業化されました。大阪にはプレハブ住宅メーカーが多数集まり、わが国の住宅産業の先進地域となっていました。
ミゼットハウスとセキスイA型

 昭和34(1959)年10月に「ミゼットハウス」が発表されました。プレハブ住宅の原点と呼ばれ、3時間で建つ勉強部屋として、売り方も営業セールスだけでなく、全国27か所のデパートで展示即売されました。建築が「請負」ではなく「商品」になりました。その後、トイレや台所もつけてというような要望に応えて、「スーパーミゼットハウス」、「ダイワハウスA型」と、本格的なプレハブ住宅へと進化していきました。
 「セキスイハウスA型」は、昭和35(1960)年に発表されました。今年(2016年)3月には、1963年に建築された「山崎家及び臼井家別荘(セキスイハウスA型)」が、プレハブ住宅として初めて国(文化庁)の有形文化財(建造物)に登録されることが決定しました。


寝屋川市の文化住宅

 都市への人口集中、宅地価格の上昇などが顕著となる昭和30年代になり、借家需要が高まり、木賃アパートと呼ばれる民間の共同住宅形式の貸家が一般化しました。木造賃貸アパートの略称で、出入り口や便所・洗面所が共通のアパートと、それらが各戸にある文化住宅に区別されます。文化住宅には2階の住戸も入り口だけは1階に設けられ、すべての住戸が直接道路に面している重ね建て形式と、2階の住戸の入り口が2階の外部廊下に面しており、外部階段からアプローチする片廊下形式があります。
 木賃アパートの立地は、利便性が高いにもかかわらず開発の遅れていた大阪市周辺の私鉄沿線に特に集中し、阪急沿線の庄内、京阪沿線の門真・寝屋川などでは、大規模な木賃密集地帯が非常な勢いで形成されました。

東淀川区の建売住宅

 昭和50年代前半には、従来は借家需要者であった中・低所得者や若年者をも対象とした分譲住宅の飛躍的増大がありました。この頃の分譲住宅の典型の一つは、ミニ開発と呼ばれる建売一戸建て住宅です。
 ミニ開発は住宅地の環境水準や住宅の物的水準が低いなど多くの課題を抱える一方で、従来の公共住宅や分譲マンションでは満たすことのできなかった住宅需要を巧みにとらえ、庶民生活のいきいきとした側面を引き出してきたことも見逃すことができません。

ドムール北畠

 ミニ開発が隆盛を極めていたころ、公共住宅においても従来の中高層住宅にとらわれない、低層住宅を含む多様な住宅形式の模索が始められていました。なかでも、オイルショック以降の低層住宅ブームを背景として、タウンハウスと呼ばれる低層集合住宅の開発が盛んに行われ、民間住宅にも波及していきました。
 数少ない大阪市内のタウンハウスの中で、質の高い住環境形成に成功した事例として、昭和57(1982)年に分譲された阿倍野区のドムール北畠をあげることができます。旧藤田男爵ゆかりの地に建設された23戸の高級住宅で、建物の形態や色彩上の配慮、樹木や土地の形質の保存、既存の敷石や石柱の利用、建築協定の締結など、環境保全に意欲的な取り組みがみられます。

都住創内淡路町

 昭和50年代に入っていわゆる需要者参加型集合住宅の建設が活発化してきます。住宅需要者が集まって組合を作り、協同して住宅建設を行うコーポラティブ方式による住宅はその典型です。原則として自由設計であることや実費主義をとっていることに加えて、協同して住宅を取得するというプロセスを通じて入居者相互のコミュニケーションが深まり、入居後の近隣関係や住宅管理を円滑に行いうることなどがこの方式の特色です。
 昭和50(1975)年に松屋町に生まれた都住創(都市住宅を自分たちの手で造る会)は、コーポラティブ住宅づくりを継続的に手がけるとともに、様々な居住関連活動を繰り広げています。


 今回は、近代都市住宅年表の終戦後の部分をご紹介しました。各時代の典型的な住宅の立面図が、年表の下に描かれていることがお分かりいただけたかと思います。解説は、「まちに住まう-大阪都市住宅史」を参考にしました。


〇今週のイベント・ワークショップ

6月27日、29日~7月2日、4日、6~9日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:11:30、14:30

7月3日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
時 間:13:00~16:00


7月9日(土)
町家衆イベント 「ミニすだれを作ろう」

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費200円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆


7月10日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


町家寄席-落語
江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演・演目:桂出丸「蛇含草」、桂華紋「仔猫」
14時~15時

町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。作り方をていねいにお教えします。
時 間:14:00~16:00



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

前回はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_20.html
次回はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html

2016年6月23日木曜日

近代建築好きの方に…

本格的な梅雨ですね。毎日雨と湿気でどんよりしています。
こんな時は室内で楽しめるイベントをご紹介したいと思います。


 7月11日(月)に大阪市中央公会堂で開催される講演会で、大阪市中央公会堂をはじめ関西に特有の近代建築の特色を京都工芸繊維大学の先生が分かりやすく解説してくれます。近代建築にご興味を持ち始めた方から深い関心をお持ちの方まで幅広く応えていただける内容です。一般財団法人ルネッサ地域文化振興財団が主催しています。

詳しくはこちらからご覧いただけます。
https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/32471

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらから≫http://www.sumai-machi-net.com/

2016年6月22日水曜日

第5回大阪市パノラマ地図検定(第4問) 20160622

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から10問の問題を出題します。

第4問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 市電「小橋西之町」停留所のある道路の名前は?
E 市電「舟橋町」停留所のある道路の名前は?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。


後日、解答例と解説を投稿します。自己採点していただき、
90点以上で1級、80点以上で2級、70点以上で3級が認定されます。
配点は、A~Eそれぞれ2点とします。

早くに答えを知りたい方は、下記あてに解答をお送りいただきますと、コメントをつけて返信いたします。
回答は、こちらからどうぞ。(「お問い合わせ内容*」の欄にA~Eの解答を記入してください。)

さあ、レッツ、チャレンジ!!
多くの皆さんの回答をお待ちしています。
このブログのコメントに回答をすることはご遠慮ください。

地図は「こちずぶらり」さんからお借りしました。
無料キャンペーンが延長されています。アンドロイド版も公開されました。

続きはこちらからどうぞ。
第5回検定の第1問はこちらからどうぞ。


第1回検定はこちらからどうぞ。
第2回検定はこちらからどうぞ。
第3回検定はこちらからどうぞ。
第4回検定はこちらからどうぞ。

2016年6月21日火曜日

PiTaPa利用額割引「プレミアム」と「マイスタイル」の違いについて

 プレミアムとマイスタイルの比較の最新版はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2017/03/blog-post_3.html

 「住まい・まちづくり・ネット」へようこそ!「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
 初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

 「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/

 大阪市内に通勤・通学している方、イベントに参加される方は、地下鉄を利用される場合が多いと思います。大阪市営地下鉄では、登録した駅を中心とした設定エリア内が乗り放題となる新しいサービス「PiTaPaプレミアム」が2016年6月1日からスタートしています。
登録駅と、大中小の3つのエリアのうちのどれかを選ぶことによって対象駅が設定され、エリア内の駅間の乗車はすべて乗り放題となるサービスです。

 従来からある「マイスタイル」とよく似ていますが、どこが違うのでしょうか?どちらがお得なのでしょうか?整理してみました。

 まずは、「マイスタイル」から。
  ・登録駅は2駅。その2駅間と同じ料金の区間が対象駅となる。
  ・割引対象は、エリア内であっても登録駅で乗車または下車しないと対象にならない。
  ・価格は、6カ月定期の1か月相当分


マイスタイル(2区)登録駅:梅田・難波、8390円


 つぎに、新設の「プレミアム」
  ・登録駅は1駅。その駅からの距離(区間)を大中小の3つ(2区~4区)から選ぶことにより、
   対象駅が決まる。
  ・割引対象は、エリア内のどの駅で乗り降りしても対象となる。(登録駅とは無関係)
  ・価格は1カ月定期相当

プレミアム(2区)登録駅:本町、9370円


 比較すると、プレミアムの方が登録駅と無関係に自由に乗れる点で自由度は高いですが、利用できるエリアはやや狭くなります。(プレミアムはエリア内の端から端までが2区。マイスタイルは登録駅から端の駅までが2区。)
 また、プレミアムの価格は1カ月定期相当で、マイスタイルの6カ月定期の1カ月相当分に比べて割高になります。
 通勤以外に市内中心部の色々な駅で乗り降りする場合、特に、よく利用する駅が自宅の最寄り駅と職場の最寄り駅以外に2つ以上あって、続けて移動することが多い場合には、プレミアムの方が便利でお得ということになります。利用できるエリアは登録駅の選び方によって異なってきますので、シミュレーションでご確認ください。
 両方に共通する注意点は、市内中心部では対象駅が面的に広がり多くなりますが、各路線の端の方だと対象駅が限定されることです。端の方の駅をよく利用する場合には定期券の方がお得という場合もあります。


 「プレミアム」と「マイスタイル」の具体的な利用例と両者の比較は、こちらで詳しくご紹介しています。各路線の端の方の駅をよく利用する場合に、登録駅の選び方によって利用範囲が大きく変わることについても、具体的な例を挙げて説明しています。定期券の見直しを検討しておられる方は、こちらも是非ご覧ください。≫http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/05/blog-post_5.html

「PiTaPaプレミアム」について詳しくは、こちらからご覧いただけます。
http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/eigyou/price/ic_card/premium_goannai.html


 シミュレーションのページもありますので、ニーズに合わせて登録駅とエリアを検討してみてください。
http://kensaku.kotsu.city.osaka.lg.jp/pitapa-premium/



 大阪市交通局には「マイスタイル」「プレミアム」のほかに、迂回定期券という便利なサービスがあります。特に、プレミアムの4区、マイスタイルの5区といった、長い区間を利用される方の場合は、迂回定期券の方がお得な場合があります。そこで迂回定期券のポイントをまとめておきます。
迂回定期券の買い方には、
  ・その1 経路が交差する(同じ駅を2度通る)ような買い方は不可
  ・その2 乗り換えは2回まで
などのルールがあります。
 ただし、
  ・住之江公園駅で四つ橋線とニュートラムの乗り換え
  ・コスモスクエア駅で中央線とニュートラムの乗り換え(旧OTS線区間の通過)
は乗り換え回数にはカウントしません。
(例:なんば[四つ橋線]住之江公園[ニュートラム]コスモスクエア[中央線]本町 は乗り換え回数0!)
また、「梅田・東梅田・西梅田」と「心斎橋・四つ橋」は同一駅として乗り換え可能です。

迂回定期券の例1(あびこ、なかもず方面)
最短ルート:なかもず[御堂筋線]天王寺[御堂筋線]なんば[御堂筋線]本町[中央線]大阪港~中ふ頭  5区(26.6km)(12,160円/月)
の場合、梅田、谷町四丁目、天満橋に出ることができません。同じ運賃で迂回ルートにすると、
迂回ルート:なかもず[御堂筋線]天王寺[谷町線]東梅田~西梅田[四つ橋線]なんば[四つ橋線]住之江公園[ニュートラム]コスモスクエア[中央線]阿波座
乗り換え駅 1.天王寺駅 2.東梅田駅(西梅田駅)
運賃 5区(12,160円/月)

迂回定期券の例2(長田、生駒方面)
最短ルート:長田[中央線]本町[中央線]大阪港~中ふ頭  5区(19.2km)(12,160円/月)
の場合、梅田、なんば、心斎橋に出ることができません。同じ運賃で迂回ルートにすると、
迂回ルート:長田[中央線]谷町四丁目[谷町線]東梅田~西梅田[四つ橋線]なんば[四つ橋線]住之江公園[ニュートラム]コスモスクエア[中央線]阿波座
乗り換え駅 1.谷町四丁目駅 2.東梅田駅(西梅田駅)
運賃 5区(12,160円/月)

迂回定期券の例3(都島、大日方面)
最短ルート:大日[谷町線]天六[堺筋線]堺筋本町[中央線]大阪港~中ふ頭 5区(22.9km)
(12,160円/月)
の場合、梅田、なんば、心斎橋に出ることができません。同じ運賃で迂回ルートにすると、
迂回ルート:大日[谷町線]天六[谷町線]東梅田[谷町線]天王寺[御堂筋線]本町[中央線]コスモスクエア[ニュートラム]住之江公園[四つ橋線]花園町
乗り換え 1.天王寺駅 2.本町駅
運賃 5区(12,160円/月)


実際の乗車の際には迂回する必要はなく、最短ルートで乗ってもかまいません。加えて迂回ルートに含まれるすべての駅での乗り降りが自由になります。迂回定期券について詳しくはこちらをどうぞ。
http://www10.plala.or.jp/bay_area/ukai.html#kihon

ライフスタイルに合わせて地下鉄を便利でお得に利用して、大阪での暮らしにお役立てください。



大阪市パノラマ地図検定解説編(1-4)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第1回 第4問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所は当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の
天保年間には何があったでしょうか?
D この地図について、自由にコメントしてください。

※Dの自由なコメントが浮かばない方は、下記のヒントにお答えください。
 地図の五重塔は木造?鉄筋コンクリート?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 四天王寺五重塔(1812年(文化9年)再建の木造)

B 四天王寺五重塔(1959年(昭和34年)再建の鉄筋コンクリート造)
C 大阪市パノラマ地図の五重塔と同じ五重塔があった
D 1812年(文化9年)再建の五重塔は1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊、
  1941年(昭和16年)に再建されるが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失した。


浪華名所獨案内の四天王寺付近(上が北)
天保新改攝州大阪全圖の四天王寺付近(上が北)

 四天王寺は、推古天皇元年(593年)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
 その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされています。

空から見た四天王寺(国土地理院)

 明治以後の四天王寺は、まず、明治維新の神仏分離令により、それまで四天王寺に所属していた神社が離され、厳しい状況に置かれましたが、人々からは依然として庶民信仰の寺・お太子さまの寺として深い信仰を受け、諸行事は従来どおり行われました。
 昭和9年(1934年)9月21日、近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被りました。昭和15年(1940年)、努力のすえに五重塔が再建されましたが、それも束の間、昭和20年(1945年)の大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰燼に帰してしまいました。
 しかしこの時も、各方面の人々の協力を得て復興への努力がなされ、昭和38年(1963年)には伽藍が、昭和54年(1979)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建、その他の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復しています。さらに、戦後間もなく太子創建の寺であることから天台宗から独立し、和宗を創立。四天王寺はその総本山として、仏法興隆と太子精神の高揚を本願とする寺として再生いたしました。
 聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。四箇院とは、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)の4つのことで、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたります。
 たび重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失しましたが、現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現しており、古代の建築様式が今に残るのは貴重といえます。
 総面積3万3千坪(約11万平方メートル)。甲子園球場の三倍の広さを有する境内には四天王寺式伽藍のほか、聖徳太子の御霊を崇る聖霊院(太子殿)があり、創建当時の品々など500点あまりの国宝・重要文化財を所蔵する宝物館もあります。日本庭園の「極楽浄土の庭」にたたずむと、都会にありながら喧騒とは無縁の世界が広がります。新西国三十三観音霊場第一番など多くの札所にもなっています。お太子さまをしのんで毎年4月22日に催される聖霊会舞楽大法要では、重要無形民俗文化財の天王寺舞楽が披露されます。毎月21日の大師会と22日の太子会は四天王寺の縁日で、露店も多く並び庶民の太子信仰の寺としての姿勢を貫いています。(四天王寺ホームページより)


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html
前問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_14.html
次問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_28.html

2016年6月20日月曜日

今週の今昔館(12) 20160620

〇企画展「船場花嫁物語」、残りわずかとなりました

 平成28年6月26日(日)までの開催です。 
 会期中の休館日:6月20日(第3月曜日)、21日(火)

 江戸時代から経済の中心地として栄えた大阪では、船場の豪商を中心に武家の婚姻儀礼に倣った華やかな婚礼が執り行われていました。
 船場の商家では、嫁いだ娘が一生不自由しないよう着物や装身具、生活道具を調え、荷物目録を添えて婚家へと送り出しました。それは娘への財産分けという意味もあったようです。一方、花嫁を迎える婚家では専用の蔵をつくり、花嫁道具を収めたといいます。婚礼の儀式は、結納に始まり、花嫁道具の荷物送りの行列、これらを披露する荷飾り、そして祝言披露宴と続きます。このような婚礼の伝統は、昭和の戦前期まで受け継がれてきました。
 本企画展では、昭和14年、船場の商家・廣野家が調えた花嫁仕度の品々を公開します。これらは、着物、宝飾品、家具調度品類いずれをとっても、職人が技術の粋を尽くした工芸品であり、船場商人の底力と大阪の文化の豊かさを示すものです。幸いにも戦火を免れ、大切に保存されてきた花嫁道具の数々をこの機会に是非ご観覧ください。

※企画展について詳しくはこちらをご覧ください。

拡大表示はこちらから


〇今昔館のあまり知られていない展示(その3)

 前回に続いて、8階近代のフロア「モダン大阪 パノラマ遊覧」の近代都市住宅年表のコーナーをご紹介します。
 15年前の開館当時からずっと展示されている年表ですが、手前に並んでいる冷蔵庫やアイロン、ガスコンロなどのくらしの道具の変遷の方に気をとられて、バックの壁面が年表になっていることに気が付かない方が多いようです。
 明治以降から現代までの大阪の住まいと暮らしの歴史を、「都市住宅の変容」を軸に、市街地や郊外居住の変化などの流れも含めて年表にまとめたものです。
 この年表の下の段には各時代の代表的な住宅の立面図が同じスケールで描かれています。
 今回は、年表の中ほど折れ曲がりの辺りにある、住之江の洋風長屋を見ていきましょう。


「住之江の洋風長屋」立面図

8階近代のフロアの「近代都市住宅年表」のコーナー

 この立面図を見て、今昔館に来られたことのある方の中には、「このパネルは知らなかったけど、この建物はどこかで見たような気がする。」という方もいらっしゃると思います。そうです。これは「住まいの大阪六景」のひとつ、「大大阪新開地」の模型制作のベースとなった立面図です。
 大正14(1925)年の「大大阪」誕生とともに新しく市域に編入された新市街地は「大大阪新開地」と呼ばれました。新市域では、組合施行による土地区画整理事業によって土地会社が宅地を開発し、その上に長屋建ての貸家を建設して大家に売却し、大家が賃貸住宅経営を行っていました。長屋の一部に大家が居住する場合もありました。
 この模型は、昭和10(1935)年頃の大大阪新開地=長屋住宅地の風景です。現在の阿倍野区、住吉区、住之江区辺りにある長屋を一つのまちに再編成したものです。伝統的な和風長屋に加えて、邸宅風の長屋や、洋風のモダンな長屋の町並みが50分の1で再現されています。大大阪新開地は既成市街地の外周部に新たに開発された住宅地で、当時のニュータウンにあたります。

大大阪新開地(住まいの大阪六景)
大大阪新開地(住まいの大阪六景)

 その中に、間口2間半でバルコニー付きの洋風長屋があります。
 3枚目の写真は洋風長屋の外観です。左端は2戸1の長屋。隣は4戸で1棟の長屋です。2戸ペアでデザインされていて、小さいものを大きく見せる効果もあって、おしゃれです。現在の大阪市住之江区西住之江に現存している長屋です。近代都市住宅年表のパネルになっているのは、この模型の制作のベースとなった4戸で1棟の洋風長屋の立面図です。

大大阪新開地の洋風長屋外観
 4枚目の写真は間取り(平面図)です。右側2戸は1階、左側2戸は2階を表わしています。2枚目の写真の4戸長屋の間取りになります。

 1階に台所、茶の間、玄関の間、6畳の間(床の間付)、縁側、風呂、便所があり、茶の間と6畳の間の間には廊下がとられています。2階には8畳の間と6畳の間、3畳の書斎があり、バルコニーがついています。前庭、裏庭付きで、よく考えられた間取りです。しかも、この間取りがピタリとはまるように計画的に道路区画がなされ、背割には汲み取り通路が確保されています。当時は便所は水洗ではありませんでしたから、部屋の中を通らずに裏から汲み取りができるように工夫がされています。

 間口が2間半あることによって、8畳の間や床の間付きの6畳の間(もちろん奥行き半間の押し入れ付き)が確保できます。また1間幅の玄関と4畳半の茶の間を並べることができます。間口2間と比べて平面プランのバリエーションが増えて、お屋敷に近い雰囲気も出せたのではないでしょうか。おまけに戦前の畳は関西間(京間)で、メートル間に近い大きさですから、ゆとりがあります。
 2戸ペアになっているのは玄関側だけで、奥は反転させずに風呂と便所が1戸分ずつ裏庭に突き出すようになっています。自然換気を重視して両面開放にしたのでしょうか?

洋風長屋の平面図(右の2戸は1階、左の2戸は2階)


〇今週のイベント・ワークショップ

6月22~25日、27日、29日~7月2日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
時 間:11:30、14:30
※6月20日(第3月曜日)は休館日ですので、ご注意ください。

6月25日(土)
町家衆イベント ワークショップ 『組みひもストラップを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

6月26日(日)
イベント 筑前琵琶

和楽器の奏でる音をお楽しみください
出演:竹本旭将、福井旭巽
時間:14:00~15:00

6月26日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。じっくりとお聞きください。
時 間:14:30~15:00

そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

前回はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_13.html
次回はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_27.html

2016年6月16日木曜日

すまじょーくんの世界の建物探訪―ピサの斜塔編―

僕はどこにいるでしょう?



答えは、「ピサ」だじょ。
ピサはイタリアの中央部に位置する都市の名前です。

のピサにある斜塔は誰もが一度は目にしたことがある、世界的にも有名な建築物の一つです。

この白い斜塔はドォーモ(キリスト教の大聖堂)の付属の鐘楼として建てられました。

そのため塔の頂上にはいくつもの鐘が設置されています。
 実は歴史は古く、1173年、ピサに生まれた建築家ボナンノ・ピサーノにより着工されました。

 なんと建築当時から地盤沈下のために毎年傾きがひどくなっていったそう。

 傾斜の原因は、斜塔の地盤の土質が均等でなかったことなんです。

 片方の地面が他方よりやわらかかったため、建物の重さに耐えられず、片方に傾いていったそうです。

 そして、その地盤沈下のせいでこの斜塔が完成するまで約200年という膨大な時間がかかってしまいました。


 というのも、最初は垂直だったのですが、第1工期後には既に塔が傾きはじめ、第2工期でその傾斜を修正しつつ建設が再開されましたが、その傾きが止まらないまま、第3工期に入ってしまいました。


 そして、その当時の人は何も思ったのか、垂直にすることをあきらめ・・・


 なんと最上階層のみ鉛直に建ててしまったのです!


 建築計画上では現在あるものよりも遥かに高い鐘楼ができる予定でしたが、皮肉にも「ピサの斜塔」として世界で最も有名な不等沈下の事例として現在もその姿を保つこととなってしまいました。

 一時は傾きがひどく、倒壊を防ぐ工事がされていましたが現在は内部に入ることができます。


 とゆうことで、すまじょーくんは内部に入るようです。


 いざ出発!
 斜塔の高さは55m。

 屋上まで293段の階段で登っていきます!


 「ちょっとひとやすみだじょ」

 すまじょーくん!もう少し!!
 「着いたじょーー!!!屋上からは街が見渡せるじょ!!」

 最上階からはピサの街を一望することができます。

 ピサのあるトスカーナ州の町並みは、赤いレンガが特徴。

 青い空と赤い街並みのコントラストが美しいです。
 「塔の下が見えるじょ!!」


 塔の真ん中は空洞になっているため上から塔の内部を見下ろすことができます!



 「でも、傾いていてちょっと気持ち悪いじょ・・・」
 写真では伝わりにくいのですが、塔の内部は結構傾いているんです。

 現在は3.99度の傾きがあるそうです。

 数字では少しのことですが、体感はそれ以上です!!

 入場の時間制限はありますが、上部での時間制限はありませんので、ゆっくり景色を楽しむことができます。


 さて、すまじょーくんはそろそろ降りるみたい。


 「はーー!気持ちよかったじょ!」
 もちろん下からも、内部を見上げることができます。


 井戸の中のようですね。
 内部から入口を撮影するとこうなります。


 決して手ぶれしたのではなく、向こうに見える地面に垂直に撮影すると、こんな写真になってしまいます。

 少しのゆがみも放っておくと、大変なことになっちゃうんですね。
それは家でも同じこと!



 家を建てるとき、買うときにチェックを怠っては後で後悔することになってしまいます。


 住まい情報センターでは住まいづくりに参考になるセミナーを実施しています。


 またこちらから、色々なセミナーを検索できます。
  http://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event_list


 ピサの斜塔のような家にならないよう、セミナーで住まいに関する知識を身につけておきましょう!


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