2016年7月29日金曜日

第5回大阪市パノラマ地図検定(第9問) 20160729

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から10問の問題を出題します。

第9問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 市電が通っている道路のうち南北の道路の名前は?
E この学校は、どこに移転したでしょうか?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。



後日、解答例と解説を投稿します。自己採点していただき、
90点以上で1級、80点以上で2級、70点以上で3級が認定されます。
配点は、A~Eそれぞれ2点とします。

早くに答えを知りたい方は、下記あてに解答をお送りいただきますと、コメントをつけて返信いたします。
回答は、こちらからどうぞ。(「お問い合わせ内容*」の欄にA~Eの解答を記入してください。)


さあ、レッツ、チャレンジ!!
多くの皆さんの回答をお待ちしています。
このブログのコメントに回答をすることはご遠慮ください。

地図は「こちずぶらり」さんからお借りしました。
無料キャンペーンが延長されています。アンドロイド版も公開されました。

続きはこちらからどうぞ。
第5回検定の第1問はこちらからどうぞ。


第1回検定はこちらからどうぞ。
第2回検定はこちらからどうぞ。
第3回検定はこちらからどうぞ。
第4回検定はこちらからどうぞ。

マンションをつくろう!

夏休みですね~♪お子さんたちにとっては楽しい楽しい夏休み。親御さんにとっては長いなが~い夏休み。


お子さんたちにとって夏休みをより実り多いものにしていただくために、住まい情報センターでは毎年たくさんのイベントを企画しています!


今年は特にたくさんのイベントを開催します。そんな中でもちょっと珍しいイベントをご紹介します。


小学生マンションドクター養成塾 STAGE1
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マンションについてお子さんに考えてもらうイベントです。楽しい工作もあります。夏休みの自由研究にはもってこいな内容になっています。夏休みもぜひ住まい情報センターへお越しください。


イベントの詳細についてはこちらからご覧ください。
https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/32402

2016年7月28日木曜日

船場の通と筋の名前についての考察と提案

〇船場(せんば)とは
 船場は、大阪市中央区の地域名で、大阪市の中心業務地区にあたります。大坂の町人文化の中心となったところで、船場言葉は江戸時代から戦前期にかけて規範的・標準的な大阪弁とみなされていました。

 船場は河川と人工の堀川に囲まれた(囲まれていた)四角形の地域であり、範囲は
東端 - 東横堀川 (阪神高速1号環状線南行き)
西端 - 西横堀川 (阪神高速1号環状線北行き。1962年埋立)
南端 - 長堀川 (長堀通。1964年埋立)
北端 - 土佐堀川
の東西1km、南北2kmのエリアです。江戸時代の町組の名残で、本町通の北を北船場(きたせんば)、本町通の南を南船場(みなみせんば)と呼び分けることもあります。東は上町、南は島之内、西は下船場、北は中之島に接しています。
現在ではまれですが、上町を東船場、下船場を西船場とみなして、船場を中船場と称することもあります。
明治39(1906)年発行の大阪市街精密地圖 舟場之部(東が上)

〇船場の通と筋の名前

 船場のまちは、大阪城と港を結ぶ東西の通(メインストリートで4間幅)とそれに直行する南北の筋(サブストリートで3間幅)とで構成され、東西の通りを挟んで北と南で1つの町を形成しています。両側町と呼ばれる形態で、町の名前は通の名前と一致していました。
 明治時代になって梅田、難波、天王寺に鉄道駅ができ、南北の交通量が増えたことから、市電の敷設と合わせて堺筋と四つ橋筋が拡幅され、さらに、昭和時代になって地下鉄の建設と合わせて御堂筋が整備されたことから、現在では南北の筋のほうがメインストリートとなっています。

 東西の通りでは、土佐堀通と本町通、末吉橋通(現在の長堀通)が市電の敷設と合わせて拡幅されて幹線となっていました。戦後になって、中央大通の整備と長堀の埋め立てによる長堀通の拡幅が行われ、新たな幹線となっています。

◆北船場の通(とおり)の名前(北から南へ)

土佐堀通 - 古くは北浜通、あるいは土佐堀浜通と呼ばれた。町名は北浜であるが、現在では北浜といえば堺筋と交わる北浜駅周辺を呼ぶことが多い。大阪取引所がある金融街。一方、御堂筋と交わる淀屋橋駅周辺は淀屋橋と呼ばれる。大阪を代表するオフィス街で、御堂筋の西側が住友村として知られるほか、淀屋の碑がある。

内北浜(うちきたはま)通 - 古くは梶木町通と呼ばれた。町名は北浜。適塾、大阪市立愛珠幼稚園がある。

淀屋小路(よどやしょうじ) - 心斎橋筋 - 御霊筋間にのみ敷かれた小路。もとは渡辺筋まであった。淀屋の屋敷に由来する。

今橋(いまばし)通 - 御堂筋に面して東側に日本生命、西側に淀屋橋odona、大阪倶楽部がある。

浮世小路(うきよしょうじ) - 今橋と高麗橋の間の通り。京都でいう突抜に相当する。本来は背割下水(太閤下水)の位置であるが、幅の狭い通りとなっている。

高麗橋(こうらいばし)通 - 2005年5月まで堺筋に面して三越大阪店があった。江戸時代、高麗橋の東詰には里程元標が置かれた。

伏見町(ふしみまち)通 - 芝川ビルが有名。御堂筋を挟んで西側に阪和興業、東側にKISCOがある。

道修町通 - 武田薬品や塩野義製薬をはじめとする製薬会社のオフィスが集中する、日本を代表する薬品街。神農(しんのう)さんとして知られる少彦名(すくなひこな)神社があり、11月22日から23日の神農祭にあたっては賑わいを見せる。境内には春琴抄の碑が、隣接してくすりの道修町資料館がある。

平野町(ひらのまち)通 - イトーキ資料館、湯木美術館があるほか、御堂筋に面してガスビル(大阪ガス本社)が、堺筋に面して生駒ビルヂングがある。

大阪市街精密地圖 舟場之部(部分、東が上)

淡路町(あわじまち)通 - 御堂筋を挟んで西側に御霊神社が、2丁目には船場ビルディングがある。

瓦町(かわらまち)通 - 江戸時代に角細工商や戸棚商、湯風呂細工職人、戸障子商、襖骨商など建築関係の商工業者が多かったという。

備後町(びんごまち)通 - 堺筋に面してりそな銀行本店、御堂筋に面して北御堂として知られる津村別院(住所は本町)がある。

安土町(あづちまち)通 - 近江安土から町人が移住してきたからという説と、当地で弓術の修練が行われ射場の「あづち(積み土)」があったからという説がある。

本町通 - 北船場と南船場の境界。丸紅大阪本社、大阪産業創造館(大阪企業家ミュージアム)、御堂筋に面して竹中工務店本社がある。


◆南船場の通りの名前(北から南へ)

本町通 - 御堂筋に面して東側にセントレジスホテル大阪がある。

南本町通 - 古くは米屋町通と呼ばれた。御堂筋に面してヨドコウ本社がある。

中央大通 - 船場の区間は1970年に完成。唐物町(からものまち)通と北久太郎町(きたきゅうたろうまち)通の2本の通りとその間の街区が道路用地に充てられている。唐物町通が東行き、北久太郎町通が西行きの平面道路に拡幅され、平面道路の間に繊維問屋が集まる船場センタービルが建ち、その上を高架道路と阪神高速13号東大阪線が走っている。地下には地下鉄中央線が走る。町名は1970年より船場センタービルが船場中央となり、1989年より唐物町残余が南本町に編入、北久太郎町残余が南久太郎町と統合されて久太郎町となった。中央区役所がある。

久太郎町通 - 中央大通の整備までは南久太郎町通と呼ばれた。御堂筋に面して大阪センタービル(伊藤忠商事旧本社・阪神高速道路本社など)、南御堂として知られる真宗大谷派難波別院がある。


大阪市街精密地圖 舟場之部(部分、東が上)

北久宝寺町(きたきゅうほうじまち)通 - かつて久宝寺という寺院が存在したという説と道頓らが地元の河内久宝寺から住人を呼び寄せたという説がある。

南久宝寺町通 - 南久宝寺町問屋街として知られる。

博労町(ばくろうまち)通 - 御堂筋に面して西側に難波神社がある。この通りまでは旧東区に属し、現在も町名として残っている。

順慶町(じゅんけいまち)通 - この通りから南は旧南区に属し、現在の町名は南船場。三休橋筋との交差付近は宝石貴金属卸が集まる宝飾問屋街となっている。

安堂寺橋(あんどうじばし)通 - 現在の町名は南船場。

塩町(しおまち)通 - 現在の町名は南船場。

長堀通 - 1964年、長堀川が埋め立てられるまでは末吉橋(すえよしばし)通と呼ばれた。現在の町名は南船場。


◆船場の筋の名前(東から西へ)

東横堀筋 - 東横堀川沿い。

箒屋町(ほうきやまち)筋 - 「本町の曲り」で東へ追加される筋へ東横堀筋が移るため、同所以南で箒屋町筋と名称を変える。

板屋橋(いたやばし)筋 - 壱丁目筋と呼ばれることもある。

八百屋町(やおやまち)筋 - 今橋通から北は、平野屋五兵衛と天王寺屋五兵衛にちなんで、十兵衛横町(よこまち)と呼ばれた。

堺筋 - 市電が通っていた筋で、御堂筋の拡幅までは大阪を代表する通りであった。今なお、御堂筋に次いで重要な通り。

難波橋(なにわばし)筋 - 藤中橋(ふじなかばし)筋とも呼ぶ。かつては大川に難波橋が架橋され、中国街道に接続する往来の多い道路で、隣の堺筋と繁栄を二分していた。しかし、1911年の市電敷設計画に反対したことが明暗を分け、1915年にはシンボルだった難波橋が堺筋に架け替えられた。その7年前の1908年に長堀川に藤中橋が架橋され、難波橋を失った難波橋筋は藤中橋筋とも呼ばれるようになった。

中橋(なかばし)筋 - 長堀川に架かる橋の名前から。

三休橋筋 - 栴檀木橋(せんだんのきばし)筋とも呼ぶ。大阪市の道路整備計画により歩道幅が確保され、大阪ガスなどから寄贈されたガス灯が並び、風情のある景観となっている。


大阪市街精密地圖 舟場之部(北東部分、北が上)


丼池(どぶいけ)筋 - 繊維問屋街。大阪で最初にアーケードが出来たのが丼池筋である。1993年老朽化により大阪最古のアーケードは撤廃された。現在は丼池ストリートとも呼ばれている。

心斎橋筋 - 南船場側は心斎橋筋北商店街として賑わう。

御堂筋 - 1937年の拡幅までは淡路町通との交点で屈折していたため、同所以南の北御堂・南御堂のある区間を御堂筋、以北を淀屋橋筋と称した。大阪の象徴ともいえる目抜き通り。

御霊(ごりょう)筋 - 南御堂より南は佐野屋橋筋と呼ばれる。

渡辺(わたなべ)筋 - 御霊神社より北は魚(うお)の棚筋と呼ばれる。

西横堀筋 - 西横堀川沿い。かつて「横堀」という町名だったことから単に横堀筋とも呼ばれる。

大阪市街精密地圖 舟場之部(北西部分、北が上)


 以上、通と筋の名前について主としてウィキペディアから引用し若干の加筆を行いました。
 明治39(1906)年発行の大阪市街精密地圖は国際日本文化研究センターさんのホームページからお借りしました。

 以下は個人的な考察と提案です。

〇通と筋の名前の考察と提案
 通の名前は旧東区では町名として残っているため、よく知られている名前が多いですが、筋の名前は堺筋、三休橋筋、丼池筋、心斎橋筋、御堂筋以外は、あまり知られていないのが実情です。

 京都の四条烏丸、河原町三条のように、東西・南北の通りの名前を組み合わせた地名だと、両方の名前が覚えやすくなります。交差点にも両方の通り名の案内表示があります。

 名古屋では、町名は新住居表示で「丸の内」、「錦」、「栄」のように大くくりの名前に変更になっていますが、東西・南北の両方の通り名が「長者町通」、「長島町通」、「広小路通」のように交差点に案内表示されていて、観光客にもわかりやすくなっています。

 大阪では、江戸時代以来の伝統で、東西の通がメイン、南北の筋がサブという位置づけで、町名は通名と同じで、大阪城に近い方から1丁目、2丁目・・・と呼ばれてきました。これもわかりやすく合理的な表示ではありますが、1丁目といっても広いですから、地点を特定するには不便な面もあります。

 そこで、例えば「道修町三休橋」のように通と筋の交差点の名前で位置を表すようにすると、外から来た観光客にもわかりやすくなると思われます。忘れられている筋の名前を呼び起こし、例えば、「道修町八百屋町」、「道修町中橋」、「道修町丼池」のように、通を歩いていると交差点ごとに筋の名前が表示されるように、逆に筋を歩いているときには通の名前がわかるようにすると、便利になると思われます。

 船場センタービルが平成25年に外壁改修をされた際に交差点ごとに筋を強調したデザインとして筋の名前を表示しています。ビル10棟が東西約1kmにわたり横に連なっていますから、筋をアクセントとして活用し旧地名を復活させている点は面白い試みと思います。


外壁全面改修工事後の船場センタービル(パース)
(株式会社大阪市開発公社ホームページより)
船場センタービルの堺筋本町
中橋筋
八百屋町筋(ゾーンごとにテーマカラー)
八百屋町筋(拡大)
中橋筋(拡大)
丼池筋(どぶいけすじ)

 南船場に位置している心斎橋筋北商店街(しんきた)のホームページを見ると、「ようこそ心斎橋筋の発祥地へ」というキャッチフレーズがあったり、 住居表示が南船場に変わって町名が廃止された順慶町、安堂寺町、塩町の名前がマップに表示されていたり、心斎橋今昔のページがあったり、知名度の高い心斎橋を前面に出して、いろいろと工夫されています。


心斎橋筋北商店街のトップページ
交通アクセスマップには、順慶町通、安堂寺通、塩町通が表示されている
心斎橋今昔のページ
心斎橋今昔のページ(続き)


 北船場に戻りますが、三休橋筋には、船場HOPEゾーン事業の一環で、交差点ごとにその四隅に、通り名がわかるイラスト入りのタイルが埋め込まれていて、現在位置がわかりやすくなっています。
道修町三休橋(三休橋筋道修町通)
高麗橋三休橋(三休橋筋高麗橋通)

 タイルではなく標識でもいいと思いますが、これを船場全体に拡げて各交差点で通りと筋がわかるようにしてはどうでしょうか。南船場の順慶町通、安堂寺橋通、塩町通といった通り名も復活させて交差点の名前などに活用してはどうでしょうか。


 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示しています。パノラマ地図には通や筋の名前がきっちりと書かれていますので、じっくりとご確認ください。



 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html
 御堂筋と堺筋についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_26.html
 島之内についての考察はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_2.html

2016年7月27日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(1-9)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第1回 第9問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所は当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D この地図について、自由にコメントしてください。


※Dの自由なコメントが浮かばない方は、下記のヒントにお答えください。
 高等工業学校は現在どういう学校になっていますか?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 
高等工業学校(大阪工業学校)
B 大阪市立東高等学校およびNTT西日本大阪研修センター等NTT関連施設
C 網島村の近郊農村
D 高等工業学校は昭和4年に大阪工業大学、昭和8年に大阪帝国大学工学部、
  昭和22年に大阪大学工学部、昭和45年に吹田キャンパスに移転。


浪華名所獨案内の桜ノ宮付近(上が北)
天保新改攝州大阪全圖の桜ノ宮付近(上が北)

 大阪大学が地域と深い係わりを持ちながら発展してきたように、工学部もその母体である大阪工業学校以来、大阪の地域社会や地場産業とともに発展・拡充してきました。
 本学部の歴史は、明治29年(1896)大阪市北区玉江町に大阪工業学校が創設されたことに始まります。商業はもちろん、紡績・造船などの工業においても急速な発展を遂げつつあった大阪は、官民あげて工業学校の設立に取り組みました。この時から数えて、平成8年(1996)には創立100周年を迎えました。
 明治34年(1901)大阪高等工業学校と改称、大正11年(1922)大阪市都島区東野田に移転完了。昭和4年(1929)には、大阪工業大学として発足。昭和6年(1931)に大阪帝国大学が発足したのを機に、2年後には大阪工業大学も大阪帝国大学に編入され、大阪帝国大学工学部になりました。当時は6学科でのスタートでしたが、その後も産業界の要求と将来の発展性を見越して、精密、通信、溶接など他の帝国大学にない学科を次々に設置し、現在の工学部の基礎を固めてきました。
 第二次世界大戦で校舎の大部分を焼失したものの、昭和22年(1947)に大阪大学工学部に名称を変更、昭和24年には新制大学のもとに再スタートを切りました。以降、組織や施設の拡充を行い、昭和45年(1970)に、現在の吹田市山田丘の吹田キャンパスに移転を完了しました。吹田キャンパスは、今も国立大学の中でも有数の教育環境だと評価されています。以上、大阪大学工学部のホームページより引用させていただきました。写真3点と地図1点もお借りしました。
 大阪市パノラマ地図には、大正11年に東野田への移転が完了した直後の様子が描かれていることになります。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示してい ますので、じっくりとご確認ください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html
前問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/07/blog-post_20.html
次問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html

2016年7月25日月曜日

住まいのライブラリー

              
ライブラリー企画展
子供用「えほん展」クローズアップ








 「住まいのライブラリー」は大阪市立住まい情報センター内にある図書館で、駅から近いこともあり、地域の方に親しまれています。

広々とした空間の中でゆっくりと読書も楽しんでいただけます。




今回は夏休みにちなみ子供向けの本も多数展示しました。読書感想文用にピッタリの本を見つけてみませんか?





また住まいに関する親子参加の様々な夏休みイベントを開催しておりますので親子で楽しんでみては如何でしょうか?









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住まい情報センター4F:住情報プラザの開館時間

平日・土曜日 9:00~19:00

日曜日・祝日 10:00~17:00

休館日:火曜日・祝日の翌日

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今週の今昔館(17) 20160725

〇特別展 中井大和守の建築指図 -世界遺産をつくった大工棟梁- 開催中です
 平成28年7月23日(土)~8月28日(日)(※会期中は休まず開館いたします。)


 重要文化財「大工頭中井家建築指図」は江戸時代の大工頭・中井大和守と配下の棟梁衆が作図した建築設計図です。中井大和守がつくった建物は、大阪城、江戸城、二条城、名古屋城、京都御所、清水寺、知恩院、北野天満宮、方広寺など日本を代表する建物で、現存する作品の多くは国宝や世界遺産になっています。建築指図の多くは300年以上の年月を経て、破損が進んでいました。そこで平成25年度から3ヵ年にわたって、国庫補助と住友財団の助成による保存修理を行いました。
 この展覧会では、修理された建築指図を中心に「大工頭中井家建築指図」を一堂に公開し、日本建築の意匠と技術の真髄に迫ります。



 詳しくはこちらをどうぞ。≫http://konjyakukan.com/kikakutenji.html


 展覧会の関連イベントとして、講演会「20世紀の中井大和守-宮大工西岡常一棟梁の教え」を開催します。

 中井家初代の大和守正清は法隆寺棟梁から出発し、徳川家の御大工に昇りつめ、城郭、御所、寺社など、当時の代表的な建物の設計・施工を一手に引き受けた人物でした。20世紀を代表する宮大工の西岡常一棟梁も法隆寺大工で、昭和の法隆寺大修理や薬師寺西塔の新築に携わった名工でした。

 この講演会は、西岡棟梁の唯一の内弟子であった宮大工の小川三夫棟梁に「宮大工西岡常一棟梁の教え」についてお話しいただく企画です。

 『木のいのち木のこころ』(草思社)、『棟梁~技を伝え、人を育てる~』(文藝春秋)などの著作を持つ小川棟梁から、仕事のあり方や人の育て方などについてお話をうかがいます。
みなさま、奮ってご参加ください。

日   時:平成28年7月30日(土)13:30~15:30
       (受付開始:13:00~)
場   所:大阪市立住まい情報センター 3階 ホール
      大阪市北区天神橋6丁目4-20
定   員:200名(要事前申込)
参 加 費:無料

◆申し込みはこちらからどうぞ。
https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/32436

 関連イベントとして、谷直樹館長による講演会「建築指図を深読みする-修復を終えた江戸時代の建築絵図から見えてきたもの」を8月21日(日)10:00から開催します。詳しくは、こちらをどうぞ。
http://konjyakukan.com/kikakutenji.html#kikakutenji20160821

 また、講演会のほかに、谷直樹館長によるギャラリートークを開催します。
開催日時:8月7日(日)、8月14日(日)、8月28日(日)、それぞれ14:00から30分程度の予定。




方広寺大仏殿 重要文化財 中井正知氏・中井正純氏蔵
清水寺絵図(部分) 重要文化財 中井正知氏・中井正純氏蔵

〇今昔館のあまり知られていない展示(その7)

 引き続き、8階近代のフロア「モダン大阪 パノラマ遊覧」の近代都市住宅年表のコーナーをご紹介します。明治以降から現代までの大阪の住まいと暮らしの歴史を、「都市住宅の変容」を軸に、市街地や郊外居住の変化などの流れも含めて年表にまとめたものです。
 この年表の下の段には各時代の代表的な住宅の立面図が同じスケールで描かれています。

8階近代のフロアの「近代都市住宅年表」のコーナー
 今回は、小西儀助商店と藤澤商店についてご紹介します。どちらも、大阪市東区(現:中央区)道修町(どしょうまち)にありました。コニシボンドで有名な小西儀助商店は、関東大震災の後に安全対策のために3階部分が撤去されましたが、現存しており国の重要文化財に指定されています。
小西儀助商店
藤澤商店
 下の模型は住まいの大阪六景のひとつ「北船場-旧大坂三郷の近代化-」です。伝統的な町家が建ち並んでいた明治時代の旧大坂三郷は、東西の通、南北の筋で構成される江戸時代以来の狭隘な道路が、近代化を進めるうえで大きな障害になっていました。
北船場-旧大坂三郷の近代化-(住まいの大阪六景)

浪華名所獨案内(天保年間)の北船場(東が上)
天保新改攝州大阪全圖の北船場(北が上)
大阪市内詳細図(大正3年)の道修町・平野町付近
大阪市パノラマ地図(大正13年)の道修町・平野町付近
 實地踏測大阪市街圖(大正14年)の北船場
最新大大阪市街地図(昭和10年)の北船場
明治41年・昭和4年・昭和42年の地形図、地理院地図の北船場(今昔マップ3)


 そこで「軒切り」と呼ばれる都市改造が実施されました。もともとは町家の正面の一部を切り取って本来の道路の幅員を回復するものですが、市電の敷設工事や都市計画に基づく道路拡幅も軒切りと総称され、明治の終わりから昭和にかけて行われました。
 もとは、メインストリートの東西の通は4間(8m)、それと直行する南北の筋は3間(6m)の道幅でしたが、堺筋などは市電の敷設に合わせて大きく拡幅されました。東西の通も軒切りによって拡幅されました。模型では、平野町通の拡幅前後を表わしています。


東西の通(メインストリート)と南北の筋で構成される「両側町」

市電の敷設に合わせて拡幅された堺筋と軒切り前後の平野町通

 軒切りを契機に大阪の都市景観は大きく変貌し、三階建ての町家や、階高が高く箱軒と呼ばれる軒蛇腹を大きくした町家、洋風建築などの新しい形式の建物が現れてきました。また、町家の内部も、店の間を板敷きの事務所とするなど、生活様式や商売の形態の近代化に対応した改造が見られました。

市電敷設に合わせて拡幅された堺筋と軒切り前後の平野町通

堺筋に面する小西儀助商店
藤澤商店の内部(店の間が板敷になり事務所として利用されている)

 今回は、都市住宅年表に描かれている、小西儀助商店と藤澤商店をご紹介しました。解説は、「住まいのかたち 暮らしのならい-大阪市立住まいのミュージアム図録-」を参考にしました。


〇今週のイベント・ワークショップ

◆7月20日から9月4日までの間は、休まず開館いたします。


◆7月25日(月)は、着物・ゆかたでご来館の方は、入館料無料です!

7月25日~30日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

7月31日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


7月30日(土)
イベント ヘルマンハープ コンサート

バリアフリー楽器ヘルマンハープと共に・・・
14時~15時
出演:シュトラーセ


7月31日(日)
町家衆イベント ワークショップ『ハンカチを染めよう』

1回目13時~、2回目14時30分~
※当日10時より8階受付で参加整理券を販売します
当日先着各回10名 材料費400円
対象:どなたでも[小学3年生以下は保護者同伴要(入館料要)]
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse

前回はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/07/blog-post_18.html
次回はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_1.html