2016年10月31日月曜日

今週の今昔館(31) 20161031

〇今昔館のあまり知られていない展示(その21)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の11回目は、こちらの写真です。
 井原西鶴が著した「諸艶大鏡」いわゆる「好色二代男」や、喜多川守貞が著した「守貞謾稿」によると、江戸時代前期には京・大坂の庶民の間ではすでに誓文払いが定着しており、江戸では恵比寿講と呼ばれていたことがわかります。
 この誓文払いは、江戸時代から現在へ続く民間信仰と言えましょう。10月20日になると京都の人々はこぞって四条寺町東入にある冠者殿へ参詣していたといいます。普段客をだました罪を免れるようにと祈る行事です。そして京・大坂の商家では、罪滅ぼしのためと称して安売りを行っていました。冠者殿の祭神には諸説ありますが、一般的には誓詞に背いて源義経の堀川の館に夜討ちをかけて殺された土佐房昌俊を祀るといわれます。つまり起請返しの神として信仰していたのでしょう。
 大坂では、古くから呉服屋がこの誓文払いを行っていました。「浪花の梅」に見られるように、店先に棒を突き出すディスプレーを施し、端切れまでも商ったのです。普段買えない高価なものから端切れまで、何でも商うのが大坂スタイルということができます。


 現代、女性に人気の高いバーゲンセール。実はすでに江戸時代の大坂では、この誓文払いという形で展開していたのです。バーゲンの伝統は江戸時代にすでに成立していたのです。
 大阪くらしの今昔館の9階江戸時代のフロアでは、季節の移ろいに合わせて江戸時代の暦に沿った季節感のある浪花の展示を行っています。今年は11月19日が旧暦10月20日に当たります。11月2日から18日まで、呉服屋に誓文払いを復元しています。



〇資料紹介「浪花行事十二月 時雨月 誓文払」 二代貞信 作、昭和14(1939)年

 当館の所蔵資料「浪花行事十二月」には、江戸時代の浪花の年中行事風俗が旧暦の月ごとに描かれています。今月ご紹介するのは、旧暦10月(新暦11月)の行事「時雨月 誓文払」です。

 大坂の呉服屋では、11月から12月の時期に現代でいうバーゲンセール、「誓文払」を行っていました。着物を仕立てる際に余った反物の端切れを竿に吊るし、軒から通りに突き出して販売しました。色とりどりの布地がはためく軒先で、品定めをする子連れの女性と、ねじり鉢巻をして道行く女性たちに声をかける店主の姿は、年末の商家の風物詩といえるでしょう。



〇今週のイベント・ワークショップ

10月31日、11月2日、5日、7日、9日~12日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

11月3日、6日、13日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


11月3日(木・祝) イベント 乙女文楽
上方の地で生まれ親しんだ芸能。磨かれた芸の技をご覧ください
出演:乙女文楽座
14時~15時

11月5日(土) ワークショップ 『ふくろうのストラップを作ろう』
各回先着10名、1人300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
①13時30分 ②14時30分

11月6日(日) 町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

11月6日(日) 町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月6日(日) イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

11月12日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸 桂文五郎
14時~15時

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月13日(日) 町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

11月19日(土)、20日(日)
関西文化の日(11/19・20)は今昔館の入館料(常設展)が無料です!

町家衆イベント 楽市町家
13時~16時

ぜんざい
11時~
100円/杯(なくなり次第終了)



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年10月26日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-3、3-4)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第3問と第4問を合わせて解説します。

(第3回 第3問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「しほみばし」の架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 大阪高野鉄道「汐見橋駅」
B 南海電気鉄道高野線「汐見橋駅」
C 難波村の田地
D 道頓堀川

 現在は南海高野線は汐見橋から高野山まで直通とはなっていません。近年まで駅構内に「南海沿線観光案内図(昭和30年代)」が掲示されていました。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
http://www.sankei.com/west/news/160323/wst1603230038-n1.html



(第3回 第4問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「にぎはいばし(賑橋)」の架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 日本国有鉄道「湊町駅」
B 西日本旅客鉄道「JR難波駅」
C 難波村の田地
D 難波入堀川

 JR関西本線(大和路線)の終着で、湊町駅からの駅名の変更に当たり、近接の地下鉄、近鉄、阪神と区別するため、JRを付加した駅名「JR難波駅」が正式名となっています。


 江戸時代の大坂三郷南組の市街地は道頓堀川の南岸までで、そこから南は難波村の田地でした。
浪華名所獨案内(天保年間)の難波村付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の難波村付近


 汐見橋駅は、明治33年(1900)に高野鉄道が大小路駅(現・堺東駅)から延伸した際の終着駅にあたる道頓堀駅として開業し、翌明治34年(1901)汐見橋駅に改称されました。明治40年(1907)、 会社合併により高野登山鉄道、大正4年(1915)社名変更により大阪高野鉄道、昭和7年(1922)、会社合併により南海鉄道の駅となりました。かつては貨物専用ヤードも併設していました。
 高野線の起点であり、昭和60年(1985)に大阪市の立体交差事業が行われる以前は、岸ノ里駅(現・岸里玉出駅)以南と直通していたため、当駅から高野線本線との一部区間運転電車が存在していましたが、立体交差事業の実施後は線路が分断されたため直接高野線本線に乗り入れることが不可能となりました。それ以後は高野線本線は難波駅から岸里玉出駅まで南海本線を経由して極楽橋駅に乗り入れる電車のみとなりました。このため当駅からは岸里玉出駅との区間運転の電車だけが運転されており、事実上は支線となっています。このため、汐見橋駅~岸里玉出駅間は汐見橋線(しおみばしせん)という通称でも呼ばれています。当駅と新大阪駅を結ぶ計画路線であるなにわ筋線の開業時には、南海は木津川駅~当駅間を地下化する予定でしたが、最近になって南海のルートについて難波駅接続が有力候補となり、当駅の存続が危ぶまれている状況です。
 道頓堀川には駅名の由来になった汐見橋が架かり、新なにわ筋(大阪府道29号線)が通っています。現在の橋は昭和39年(1964)に架け替えられたものです。開業時は「道頓堀駅」と称しましたが、江戸時代からすでに道頓堀と言えば島之内の対岸にあたる繁華街を指すことが一般的だったこともあり、翌年には汐見橋駅に改称しています。なお、当駅と道頓堀川の間には桜川(埋立てられて現在の千日前通)も流れていました。

 湊町駅は、明治22年(1889)に、大阪鉄道の湊町駅(みなとまちえき、一般駅)として開業し、同社の創業路線である湊町駅~柏原駅間の起点となりました。明治33年(1900)に関西鉄道が承継、明治40年(1907)に国有化され、明治42年(1909)に、日本国有鉄道関西本線所属の駅となりました。
 西側に貨車入換用の線路が広がり、駅操車場内の南端には蒸気機関車の転車台が設けられていました。また、道頓堀川から入堀が開削されていました。南側には留置線が広がり、夜間滞泊の車両が留置されていました。駅には町の東西を結ぶ歩行者用の跨線橋(地元の人は「たかばし」と呼んでいた)がかけられていました。駅の東側の跨線橋上り口付近には、駅職員のための厚生施設(理髪室、浴場)も設けられており、地元の人も利用できたそうです。また、車両が通行できる踏切は駅南側にあり、それも貨車入換線を横切る長さ50m近い踏切だったため、時々「開かずの踏切」となっていました。
 駅開業から平成6年(1994)まで湊町駅(みなとまちえき)と称しており、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによります。ただし、当時の湊町の範囲は道頓堀川に面した狭小なもので、西成郡難波村(のち大阪市に編入され、難波東円手町)にもまたがっていました(現在の湊町の範囲は1980年に拡大されたもの)。
 1989年の駅移転によって、元来の湊町から完全に離れて難波側にのみ位置するようになり、地下駅化して難波駅や大阪難波駅(当時は近鉄難波駅)と連絡する計画もあったため、1994年9月4日の関西国際空港開港と同日にJR難波駅に改称されました。駅名に「JR」を冠したのはJRグループ各社を通して初めてで、駅名にアルファベットが入ったのも日本では初めてです。


大阪市街大地図(大正14年発行)の汐見橋・湊町付近
明治41年、昭和22年、昭和42年、最近の地形図の汐見橋駅付近(今昔マップ3より)
明治41年、昭和22年、昭和42年、最近の地形図の湊町付近(今昔マップ3より)


第3回第5問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/11/blog-post_02.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html

2016年10月24日月曜日

今週の今昔館(30) 20161024

〇今昔館のあまり知られていない展示(その20)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の10回目は、こちらの図面です。

 この図面は9階近世のフロアの連続平面図です。
 近世のフロアに再現された「大坂町三丁目」は架空の町ではありますが、江戸時代の船場の町のデータに基づいて再現された町です。
 大阪船場の町割は、城と港を結ぶ東西の道がメインで「通」、それと直交する南北の道は「筋」または「横町」と呼ばれ、主要道の「通」は幅4間、脇道の「筋」は幅3間で、これが格子状に交差して、方40間の街区を形づくり、中央には東西方向に背割下水(太閤下水)が走り、町境になっていました。
 宅地割は通に間口を開き、奥行きは20間と一定していました。一つの町は「通」を挟んで建ち並ぶ町家からなる「両側町」を構成していました。
 宅地割から想定される建屋の状況は、町家の正面が町並みを形づくる通と、町家の側面を見せる筋とに分かれ、空間的な階層性があったとされていました。
 「町通りと筋にははっきりと格差があって、家の正面を見せるか、側面を見せるかの差である」との説もありますが、実態について調べてみると、「通」に面しては一戸建てと表長屋の町家、「筋」に面しては通に開口した町家の側面と、筋に開口した表長屋、そして街区中央部には一戸建てと裏長屋が配置され、全体としてヒエラルキーを持った居住空間を形成していたことがわかります。
 連続平面図をよく見ると、合薬屋、呉服屋、唐高麗物屋、町会所は町家(一戸建て)であるのに対し、建具屋と小間物屋、人形屋と本屋は、表長屋となっていることが確認できます。
 街区の中央部の空間構成を見ると、各戸の裏宅地には裏長屋や土蔵のほかに前栽や空き地が配置され、街区全体から見るとオープン・スペースとして効果的に機能していました。また、土蔵が背割下水に沿って建ち並び、さらに背中合わせの隣町の土蔵群も含めると土蔵の帯が掲載されています。土蔵は厚い壁を持ち、表面は漆喰塗りで仕上げた防火建築ですから、いざ火災の時には防火帯になり、延焼を食い止める効果もありました。以上、谷直樹館長の著書「町に住まう知恵」を参考にさせていただきました。


 展示室内に再現するに当たって、「通」を挟んだ南北の敷地のうち、北側は店部分のみ、南側は店と住まい部分を切り取って再現しています。南側もすべては再現できていませんが、船場の町の構成を踏まえ、実在した店の資料に基づいて、実物大で再現されています。緑で囲った部分が今昔館で再現されている範囲です。
 近世のフロアの入り口は木戸門となっており、木戸門から表通りに沿って一街区の約半分の範囲が再現されています。通の突き当たりは鏡になっていますので、鏡に映る像を含めると一街区の長さを感じ取ることができます。「夏祭りの飾り」の展示の際は、天神丸があるためによく見えませんが、「商家の賑わい」の展示の際には、鏡に映る町並みをご確認いただくことができます。


 こちらの図面は、8階近代のフロアの住まいの六景のうち「北船場~旧大坂三郷の近代化」の模型を制作する際に作成された図面です。
 堺筋は、明治45年(1912年)に市電が敷設される際に3.3間(約6m)から、12間(21.8m)へと拡幅されました。江戸時代の大坂は東西方向の道路が主で4.3間幅であったのに対し、従である南北方向の道路は3.3間幅しかなく、堺筋といえども例外ではありませんでした。
 まず、明治41年(1908年)に南側の日本橋3交差点~恵美須交差点間が12間(約21.8m)に拡幅され、大阪市電南北線が敷設されました。次いで、北浜1交差点~日本橋3交差点間が拡幅され、大阪市電堺筋線が敷設されました。この図面は拡幅後の堺筋を描いています。
 一方、東西方向の通については、昭和5(1930)年、平野町のうち堺筋から西側が道幅13mに拡げられて町並みが一新されました。「軒切り」と呼ばれています。一方、東側は、まだ江戸時代とあまり変わらない町並みが続いていました。東側も昭和8年に拡幅されることになります。



〇今週のイベント・ワークショップ

10月24日、26日~29日、31日、11月2日~5日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

10月30日、11月6日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


10月29日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸 桂りょうば
14時~15時

10月29日(土)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月3日(木・祝) イベント 乙女文楽
上方の地で生まれ親しんだ芸能。磨かれた芸の技をご覧ください
出演:乙女文楽座
14時~15時

11月5日(土) ワークショップ 『ふくろうのストラップを作ろう』
各回先着10名、1人300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
①13時30分 ②14時30分

11月6日(日) 町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

11月6日(日) 町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月6日(日) イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年10月19日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-1、3-2)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第1問と第2問を合わせて解説します。

(第3回 第1問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 地図中央の「阪神前」は市電の停留所名です。では、地図の右側の「崎」は何を表わしているでしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 阪神電気鉄道「梅田駅」
B ハービスENT
C 曾根崎村の田地
D 曾根崎の「崎」
 阪神電気鉄道の開業当初、少し西の出入橋駅までの営業でしたが、明治39年に東へ延伸されました。現在の阪神梅田駅はさらに東へ延伸され、大阪駅前の地下駅となっています。


(第3回 第2問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「車庫前」は市電の停留所名です。さて何の車庫があったのでしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 阪神急行電鉄梅田駅「阪急ビル」
B 阪急百貨店梅田店
C 北野村の田地
D 大阪市電の車庫

 当時は1階は阪急ではなく白木屋(大正9年~大正14年)に賃貸されていました。2階は阪急食堂が営業していました。



 江戸時代天保年間の梅田付近は、大坂三郷天満組の市街地の北の外れで、田地が拡がっていました。淀川の氾濫の多い地域でもあり、水に強い菜の花が多く植えられていたそうです。江戸時代には能勢街道の要所として、数多くの旅人が行き来して、鶴乃茶屋や萩乃茶屋といった名物茶屋が並んで賑わったという茶屋町界隈。菜の花畑が一面に広がり、それは大坂・毛馬生まれの漂泊詩人・与謝蕪村の心の故郷、原風景でもありました。菜の花を題材にした多くの句が詠まれています。今では大都会の中心部にありながらも、茶屋町界隈には、よく眺めれば、旧街道の名残がちらほら見えてきます。
 第1回大阪市パノラマ地図検定の第2問「大阪駅」のところでも触れましたが、現在のJR神戸線に当たる大阪~神戸間の鉄道が引かれた際に、市街地の外れのこの地域に「梅田ステン所」が建設され、その後、大阪~京都間の鉄道(現:JR京都線)が敷かれ、現在の大阪環状線に当たる西成線と城東線の駅ができ、私鉄の阪神、阪急のターミナルもこの地域に整備されました。市電、地下鉄も敷設され、現在の大阪キタの交通拠点(梅田ターミナル)へと発展してきました。



浪華名所獨案内(天保年間)の梅田付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の梅田付近

 阪神電鉄は、明治32年(1899)6月に、社名を摂津電気鉄道株式会社として設立。同年7月に阪神電気鉄道株式会社に改称し、明治38年(1905)4月に神戸(三宮)~ 大阪(出入橋)間の営業を開始しました。翌明治39年(1906)12月21日に、それまでのターミナルだった出入橋駅より路線を延ばす形で梅田駅が開業しました。現在より西のハービスENTあたりにありました。パノラマ地図にはこの時の梅田駅が描かれています。その後昭和14年(1939)3月21日に、地下化され現在の梅田駅に移転しました。

 一方の阪急電鉄の梅田駅は、明治43年(1910)に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が梅田駅~宝塚駅間で営業開始した際に開業しました。このときは東海道本線南側、現在の阪急百貨店うめだ本店の場所にある地上駅でした。大正7年(1918)2月4日、社名変更により阪神急行電鉄となり、大正9年(1920)7月16日に神戸本線が開業し、神戸本線の列車が乗り入れるようになりました。パノラマ地図にはこのころの梅田駅が描かれています。
 その後、大正15年(1926)7月5日、梅田駅~十三駅間の複々線高架完成により高架駅に移転しました。この際に国有鉄道大阪駅の高架化計画が既に立てられていたため、高架駅は鉄骨の仮建築として造られました。そして、大阪駅の高架化工事が部分完成するとともに、予定通り昭和9年(1934)に再び地上駅化されました。
 昭和18年(1943)に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道の合併により京阪神急行電鉄となり、昭和34年(1959)には梅田駅~十三駅間に京都本線用の線路が増設されました。
 昭和41年(1966)から、現在地への移転高架化拡張工事に起工し、昭和42年(1967)に神戸本線ホームを高架に移転、以降順次移転を進め、昭和48年(1973)に高架化拡張工事が完成し、現在の阪急梅田駅となりました。
 阪急梅田駅の歴史については、新之介さんのブログ「十三のいま昔を歩こう」に3回シリーズでたくさんの写真や資料を使って紹介されています。詳しくはこちらをどうぞ。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-118.html
 
大正14(1925)年発行の「大阪市街大地図」の梅田付近
明治41年、昭和7年、昭和42年、最近の地形図(今昔マップ3より)


第3回第3問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html

2016年10月17日月曜日

今週の今昔館(29) 20161017

〇今昔館のあまり知られていない展示(その19)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の8回目は、こちらの写真です。

 近世のフロアの入り口にある「木戸門」です。
 大坂町三丁目の木戸門です。町の入り口に立っています。門の正面右側には町名の「大坂町三丁目」、左側には「張札堅無用」と書かれた木札が打ち付けられています。
 木戸門については、元禄4年(1691)に来阪したケンペルの見聞録に「どの通りにも頑丈な門があり、夜にはみな閉ざされ、町年寄りの通行証がなければ誰も通れない」と記されています。曲亭馬琴も「羈旅漫録」で、「大坂は一町一町に木戸ありて、木戸の柱にふだをうちつけ、是へ町名をしるしておく」と記しています。町の境には木戸門が立てられ、夜間は四つ(午後10時ころ)に門を閉じていました。夜は傍らの番小屋に不寝番が詰め、通行人が通るたびに門を開け、人数分の拍子木を打って次の門番に知らせていました。木戸門は町の裏側を流れている背割り下水とともに、隣町との共同管理の都市施設でした。(谷直樹館長の著書「町に住まう知恵」より)



 町木戸から町内に入る地車(だんじり)。町家の軒先には幔幕が張られ、店の間には屏風が立てられています。地車よけの柵には高張り提灯も見えます。大坂の夏祭りの名物は地車で、「特に東掘十二浜の地車は錦繍を引きはえ美麗を尽くし」た作りだったといわれます。「摂津名所図会」より。


 大阪くらしの今昔館の町並みや木戸門、祭りの際のしつらえなどは、こうした資料に基づいて制作されています。


〇今週のイベント・ワークショップ

10月19日~22日、24日、26~29日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

10月23日、30日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


10月22日(土)
イベント 狂言

上方の地で生まれ親しんだ芸能。磨かれた芸の技をご覧ください
14時~14時40分

10月22日(土)
ワークショップ 『バランスとんぼを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
各回先着10名、参加費:200円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します

10月23日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間: 14:30~15:00

10月29日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸 桂りょうば
14時~15時

10月29日(土)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年10月12日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(2-10)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第2回 第10問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D この地図の右下の水面は何でしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 大阪陸軍偕行社
B 追手門学院
C 京橋口曲輪(篠の丸)
D 右下の水面は大阪城の堀


 偕行社は陸軍将校の将校倶楽部で付属小学校を併設していた。戦後も軍人の親睦組織「偕行社」として存続している。
 会名の「偕行」とは詩経の秦風、「無衣」にある、「王于興師 修我甲兵 与子偕行」(訳:「帝王が軍を発したならば、わたしはわたしの鎧と武器をととのえて、あなたと偕に戦いに行こう」)に由来し、「共に行こう・共に軍に加わろう」の意。機関紙『偕行』や、戦史資料集、詔勅集など幾つかの書籍を発行している。
 大阪偕行社(第4師団)は付属の私立学校たる小学校(大阪偕行社付属小学校)を有しており、これは名門小学校として陸軍幼年学校進学を目指す高級軍人子弟のみならず、財界・法曹界・医学界といった上流階級の子弟を主な生徒として有していた(大阪偕行社付属小学校は戦後に追手門学院小学校となる)。
1946年(昭和21年)4月 『大阪偕行学園小学校』に改称。共学化。(GHQの指示があった)
1947年(昭和22年)3月 『大手前学園小学部』に改称。4月 中学部新設。11月 『追手門学院小学部』に改称。
1950年(昭和25年)4月 高等部新設。
1966年(昭和41年)4月 大学創設。
1971年(昭和46年)4月 『追手門学院小学校』に改称。
(以上、ウィキペディアより)


大阪市街大地図(大正14年発行)の京橋口付近
明治41年、昭和22年、昭和42年、最近の地形図(今昔マップ3より)

第3回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/10/blog-post_19.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html

2016年10月10日月曜日

今週の今昔館(28) 20161010

〇天満天神繁昌亭で第11回子ども落語大会が開催されました

 「第11回子ども落語大会」の入賞者大会が10月9日に天満天神繁昌亭において開催されました。
 平成18年より開催しています「子ども落語大会」も今年で11回目を迎えました。天満天神繁昌亭は先月9月15日に開場10周年を記念して、天神橋筋商店街で「お練り」が実施されたばかりですから、子ども落語大会は「目指せ!天満天神繁昌亭!!」をキーワードに、繁昌亭開場の年から毎年開催してきたことになります。
 9月11日(日)12時~17時に、大阪くらしの今昔館9階常設展示室の薬屋座敷において開催された予選において入賞された8名の皆さんが、天満天神繁昌亭の舞台に立ちました。



〇今昔館のあまり知られていない展示(その18)

 近世のフロアのあまり知られていない展示の8回目は、こちらの写真です。
 裏長屋の4軒のうち、一番右の家の写真です。
 さて、この家には、誰が住んでいるでしょうか?もちろん、ミュージアムですから、実際には住んでいませんが、誰が住んでいるという想定で家財道具などが置かれているでしょうか?



 前回ご紹介しましたが、江戸時代の大坂の借家は現代とは異なり、家の中の畳や障子や襖、流しやかまどといった設備は、入居する店子がすべて自分で用意するという仕組みでした。これを「裸貸し」と呼んでいました。裸とは構造体の部分だけで貸すという意味で、今風にいうと「スケルトン賃貸」のことです。4軒長屋の一番右手の路地口に近い家は空き家で「かしや」の張り紙がありました。

 残る3軒には、それぞれ住人が想定されており、それに合わせて家財道具が置かれています。
 一番右手の共同井戸に近い家は、義太夫節の師匠である松太夫の独り住まいです。部屋には三味線が置かれ、家紋の入った正装の羽織が掛けられています。義太夫節の稽古を付けに行くときに着て出かけます。裏長屋には押入れがありませんので、部屋の隅には布団がたたんで置かれています。行灯もあります。
 松太夫は、昔は油問屋を家業としていましたが店が逼塞し、今は若いころに打ち込んだ義太夫節の師匠として余生を送っています。


 松太夫の部屋には引き札風のデザインをした裏長屋の案内チラシが置かれています。裏長屋の住人の紹介や、へっつい、縁・裏前栽、走り・水壷、行灯などの解説があります。大阪くらしの今昔館の図録「住まいのかたち 暮らしのならい」の97ページには住人設定の表があり、住人と職業の想定が紹介されています。


 残る2軒の住人もご紹介しておきましょう。
 空き家の隣は、大工の作兵衛さんご夫婦、という設定で、大工道具が置かれ、七輪がかまど代わりに置かれています。作兵衛は若いが腕のいい大工で、脇棟梁を勤めることもあります。

大工の作兵衛さんご夫婦の家

 その隣は、青物の振り売り(行商)を生業としている伝吉さん夫婦とお子さんが一人の3人住まい。部屋には野菜を入れる籠がいくつも置かれ、土間には籠を下げる天秤棒が置かれています。子どもがいる設定ですので、七輪ではなくかまどが置かれています。


青物の振り売りの伝吉さんご夫婦の家
 このように、4軒長屋のうち1軒は空き家、残る3軒には住人が想定されています。畳も障子もない「裸貸し」の空き家に、実際に人が住むとどのようになるかが、比較できるようになっています。


〇今週のイベント・ワークショップ

10月10日、12日~15日、19日~22日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

10月16日、23日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


10月15日(土)
町家衆イベント 折り紙(有料)

季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00

10月16日(日)
イベント 町家でお茶会

町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

10月16日(日)
町家衆イベント 今昔語り

大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

10月16日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

10月22日(土)
イベント 狂言

上方の地で生まれ親しんだ芸能。磨かれた芸の技をご覧ください
14時~14時40分

10月22日(土)
ワークショップ 『バランスとんぼを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
各回先着10名、参加費:200円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します

10月23日(日)
町家衆イベント 絵本で楽しい時間

むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間: 14:30~15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年10月5日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(2-9)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第2回 第9問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D この地図の左上の水面は何でしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 大阪陸軍衛戍病院
B 大手前病院
C 大坂東町奉行所と大坂代官所
D 水面は寝屋川。少し下流で大川に合流する。



 衛戍病院は、明治 3(1870)年に開院した最初の陸軍病院で昭和に入り「大阪陸軍病院」に改称、各地に分院が出来「第一陸軍病院」となって終戦。衛戍(えいじゅ)とは、大日本帝国陸軍において、陸軍軍隊が永久に一つの地に配備駐屯することをいい、その土地を衛戍地と称しました。

浪華名所獨案内(天保年間)の京橋付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の京橋付近
明治41年、昭和4年、昭和22年の地形図、最近の航空写真の京橋付近(今昔マップ3)
第2回第10問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/10/blog-post_12.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html

2016年10月3日月曜日

今週の今昔館(27) 20161003

〇収蔵資料紹介 浪花行事十二月 「紅葉月 重陽菊の使」 二代貞信 作、昭和14(1939)年

 当館の所蔵資料「浪花行事十二月」には、江戸時代の浪花の年中行事風俗が旧暦の月ごとに描かれています。今月ご紹介するのは、旧暦9月(新暦10月)の行事「紅葉月 重陽菊の使」です。(大阪くらしの今昔館のホームページより)
 

 重陽は五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつで、九月九日の菊の咲く時期のため「菊の節句」とも呼ばれます。菊は長寿をもたらし、強い香りで邪気を払うとされました。

 久須美祐雋の随筆「浪花の風」によると、重陽には栗や柿・葡萄を用意し、料理には松茸を煮物、魚は鱧を使って客をもてなしたそうです。本図でも秋の収穫物を用いた宴の準備の様子が描かれています。菊が届けられ、奥には松茸とイガグリを提げた男性が続いています。

 嘉永二年(一八四九)の「浪花十二月画譜」に「九月の節句は菊の花を以て祝儀とし、長寿を賀す菊酒を飲み、不老長生を得るといふ栗を以て嘉食とし、家々に神に供へ仏に供し、家内打よりこれを祝し食ふ」とあります。


(追記)
 陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれます。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていましたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていました。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものです。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていました。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣がありました。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていないのは、寂しいことです。

 重陽の節句とともに注目されているのが、「後の雛」という風習です。後の雛とは、桃の節句(雛祭り)で飾った雛人形を、半年後の重陽の節句で虫干しを兼ねて再び飾り、健康、長寿、厄除けなどを願う風習で、江戸時代に庶民の間に広がったといわれています。

 日本の行事は繰り返されるのが特徴なので、後にくる行事には「後の」をつけて区別しています。お正月に対してお盆の藪入りは「後の藪入り」、秋のお彼岸は「後の彼岸」、秋の衣がえは「後の衣がえ」、十五夜のあとの十三夜は「後の月見」、そして重陽には「後の雛」があり、「後の」という語感が何とも優しげですね。

 後の雛には、貴重な雛人形を1年間しまい込まず、半年後に出して虫干しをすることで、痛みを防ごうという暮らしの知恵も込められています。また、雛人形は女性の幸せの象徴であり、人の分身として災厄を引き受ける役目もあるので、感謝と祈りを込めて大事に扱い、長持ちさせることが長生きにも通じると考えられています。

 桃の節句では桃の花が添えられますが、重陽は菊の節句ということで菊の花が添えられ、華やかな中にも落ち着いた大人の雰囲気が漂います。どちらかというと、桃の節句が子ども向きであるのに対し、重陽の節句は大人向きといえるため、後の雛は”大人の雛祭り“ととらえることもできます。最近は、重陽の節句に向けた雛人形もでており、後の雛復活の追い風となっています。年を重ね、自分のために雛人形を求めるというのも素敵ですね。

 雛人形を愛でながら菊の花びらを浮かべた菊酒をのみ、深まる秋に人生を重ねるひと時は、まさに大人の雛祭り。そして春になると健やかな成長を願う雛祭りがやってきて、再び豊穣の秋へと向かいます。行事を通じて、季節の巡りとともに私達は生きているということが実感できますね。

 後の雛は、重陽の日付(最大の陽数9が重なる日)を尊重して9月9日、昔の季節感を活かして旧暦の9月9日(新暦では10月の中ごろにあたります)、月遅れの10月9日などに楽しむことができます。家族みんなで楽しむもよし、自分へのご褒美にするもよし、女子会で盛り上がるのもよし。行事の心にふれながら、心豊かなひとときをお過ごしください。
(以上、ウィキペディアとAll About(暮らし)から引用させていただきました。)

 今年の重陽の節句(旧暦の9月9日)は10月9日です。ちょうど1か月のずれになっています。旧暦で考えると、重陽(ちょうよう)の節句が「菊の節句」とも呼ばれることが納得できます。


〇今昔館のあまり知られていない展示(その17)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の7回目は、こちらの写真です。
 裏長屋の4軒のうち、一番左の家には「かしや」の張り紙があります。
 さて、この家はどういう家でしょうか?


 「かしや」は、「菓子屋」ではなく「貸し屋」です。「空き家」のことで、「賃貸住宅の入居者募集中です。」という張り紙です。さて、家の中を覗いてみてください。家の中には畳も襖も何もありません。どういうことでしょうか?
かしやの玄関
かしやの内部


 江戸時代の大坂の借家は現代とは異なり、家の中の畳や障子や襖、流しやかまどといった設備は、入居する店子がすべて自分で用意するという仕組みでした。これを「裸貸し」と呼んでいました。裸とは構造体の部分だけで貸すという意味で、今風にいうと「スケルトン賃貸」のことです。
 屋根と外壁、柱と梁、床板等の「戸じまりと雨じまいを保証する部分」は大家さんの所有物で、それ以外はすべて店子が自分で調達する。引っ越しの時は、家具と同じように畳や襖を持ち運んだり、あるいは、中古の畳や襖を売ったり借りたりすることができました。
 こういう仕組みが江戸時代に広く普及していたことは世界的に見ても驚くべきことです。大家と店子の役割分担を決めておくことでトラブルが少なく、全体として合理的なシステムでした。

 それが成立するにはいくつかの条件が必要です。まず、大坂では借家が多かったこと。全体の9割を超えていたといわれます。次に、技術的な面では、関西間(京間)の寸法体系が非常に重要です。江戸間に比べて大きいというサイズの面よりももっと重要な点は、柱の内側から内側までの寸法が三尺一寸五分という畳の短辺の寸法の倍数となっていることです。畳割、内法制(うちのりせい)を採用しているのです。これに対して江戸間は柱の中心から中心までが三尺の倍数となっています。柱割、心々制を採用しています。
 この点は、裸貸しを行う上で決定的な違いです。関西間では畳の寸法はすべて同じですが、江戸間では同じ部屋の中でも畳の大きさが違います。関西間だと、引っ越しの時に畳を持っていけば次の家でも使えるという点が大きな特徴です。畳の寸法が同じということは、障子や襖、その他の建具類、家具類、道具類の寸法が統一されていて使い回しができました。
 もちろん、その寸法で精度よく家を建てる職人、畳や建具を作る職人がいることが大前提となります。

 これによって、建具などの見込み生産が可能になり、商品化されます。新品だけでなく中古品も含めて流通していました。こういう流通面のバックアップもあって、裸貸しが成立していたのです。
 お金に余裕がある人は、新品を、そうでない人は中古品を、しかも、何度も使った物はさらに安く買う事が出来たといいます。住み手は引っ越すときに、持っていってもいいですし、また売る事もできたのです。つまり内装だけが市場に流通していたのです。
 家財道具はもちろん、畳や建具まで借りる人が自分の好みや経済事情に合わせて道具屋から購入したり、「損料屋」と呼ばれるレンタルショップで中古の家財道具を借りたりして暮らしていたのです。道具類の汎用性が高かったため、物の売り買いが活発になったり、生活道具がレンタルしやすくなったりすることでエコロジーにも役立ちました。

 裸貸しのメリットをまとめると次の3点になります。
・大家と店子の責任範囲が明確である。
 普通の賃貸では、内装を汚したり設備を壊したりと、その修繕費をめぐってトラブルになりやすい。しかし、裸貸しシステムであれば、汚れ等が生じやすい内装造作は店子負担でありトラブルの心配がない。
・賃貸でありながら好みや財力にあわせた内装造作にできる。
 内装造作や設備はお仕着せではなく、自分の好みのものにできる。自分の懐具合に応じて、新品か中古か選択することができ、高級感をもたせることもできれば、最低限の内装にもできる。
・内装造作や設備を流通させる仕事を生み出す。
 家具はもとより、畳や襖、かまど等の内装造作や設備を貸し出したり、中古を引き取ったりする、いわばインフィル流通産業という仕事を生み出す。これにより、それらを無駄にしないエコな社会を実現する。

 プレハブ住宅産業は戦後関西から始まりましたが、その下地となる産業が江戸時代にすでにできていたということが言えます。

 なお、「かしや」の張り紙が真っ直ぐでなく斜めになっているのは、幕末に出版された「街能噂(ちまたのうわさ)」に東西比較の絵があり、江戸ではまっすぐに張るのに対して、大坂では斜めにされていました。


街能噂(ちまたのうわさ)に見る張り札の東西比較



〇今週のイベント・ワークショップ

10月3日、5日~8日、10日、12日~15日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

10月9日、16日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


10月8日(土)
ワークショップ 『和風マグネットを作ろう』

①13時30分 ②14時30分
各回先着10名、参加費:300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します

10月9日(日)
町家衆イベント おじゃみ

古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

10月9日(日)
イベント 子ども落語大会 於:天満天神繁昌亭
9/11(日)に開催の、第11回子ども落語大会の入賞者が天満天神繁昌亭の舞台に立ちます
10時~12時 観覧無料
場所 天満天神繁昌亭
(大阪市営地下鉄 谷町線・堺筋線南森町駅、JR東西線大阪天満宮駅④B出口から徒歩3分)

10月15日(土)
町家衆イベント 折り紙(有料)

季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00

10月16日(日)
イベント 町家でお茶会

町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

10月16日(日)
町家衆イベント 今昔語り

大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

10月16日(日)
町家衆イベント 町の解説

江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse